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日本のモノレール 熱海モノレール

成田山観光モノレール株式会社
成田山モノレール

(モノレール開発黎明期に搭乗したアルウェーグ式モノレールの未成線)

社名  成田山モノレール観光株式会社
営業距離 1.0km
駅数 2(成田駅-成田山門前)
複・単線 単線
モノレール方式 アルウェーグ式

1.成田山モノレール

成田山新勝寺、千葉県成田市にある真言宗智山派の寺院です。
創建は940年。新勝寺は、一般的に「成田山」とも呼ばれています。

この寺院は、日本国内外から多くの参拝者が訪れる観光地であり、成田国際空港の近くに位置しているためアクセスも便利です。

成田山新勝寺は、開運成就・商売繁昌・家内安全・交通安全・厄除け・災難消除などのご利益があるとされており、多くの人々が祈願や参拝に訪れています。

広大な境内では、荘厳な雰囲気の総門、国の 指定重要文化財を堪能してのお参り 散策が楽しめる 観光スポットとなっています。


成田山新勝寺(画像奥手)
さて、この新勝寺の最寄り駅となる京成の成田駅から 成田山門前間 およそ1kmにおいて、かつてアルウェーグ式モノレールの敷設構想がありました。申請は 昭和38年 つまり1963年の6月1日に出されましたが、二年後となる昭和40年1月26日付けで却下を受け、いわゆる未成線となりました。今回は簡潔に、このモノレールの概要とルートを紹介します。


成田山モノレールの概要
(c)成田山モノレール観光株式会社
成田空港からほど近い、国鉄の成田駅および 京成の成田駅。今回紹介するモノレールルートは、この両駅間に挟まれる位置に起点駅を計画し、ここから新勝寺付近までを繋ぐモノレールとして計画されていました。

もっとも、成田空港の建設が閣議決定したのは1966年であり、当時現地に空港は無い状態でしたし、今は高架線として成田空港まで伸びる 京成本線 東成田線も、当時は存在していませんでした。

ルートはここから電車道を伝って新勝寺へ、成田山門前駅想定位置は 今現在 ナビパーク 成田東町第1駐車場となっています。


成田山モノレールのルート(白)
新勝寺の参拝者は年間およそ305万人で、明治神宮の310万に次ぐ 国内第二位となっています。当然 参拝者の移動に伴う混雑は凄まじく、駅前から新勝寺まで 定時定速で移動できる交通手段が検討されるのは自然な流れだったのでしょう。

この証拠に、成田駅から新勝寺までは この成田山モノレール株式会社からの アルウェーグ式モノレールでの免許申請の他に、もうひとつ 成田観光開発株式会社という会社から、日本ロッキード式モノレールでの免許申請が成されていました。

日本ロッキードモノレール社のパンフレットより
路線は全線単線のロッキード式モノレールでの建設が計画され、建設費は概算で8億1448万円となっていました。

なお、成田観光開発株式会社とは、東京都に本社を置く資本金1000万円の会社で、モノレール事業、観光開発事業 及び不動産の売買等を目的として 昭和38年10月に設立された会社で、免許取得後 残念ながら解散してしまいました。

この路線が着手されていたら、小田急モノレール線、姫路市営モノレールにならび、日本国内では3つ目のロッキード式モノレール路線となっていたかもしれません。


ロッキード式モノレール(画像は小田急線)
(画像:MJWS 田村拓丸)
なお、小田急モノレール線 姫路モノレール共に、開業が1966年ですから、この2年前に 成田山モノレールの免許が取得されていたという事になります。

成田山モノレール株式会社とは始点と目的地こそ同じでしたが、成田観光開発株式会社のロッキード式モノレールルートでは、京成の成田駅の東側に配置された起点駅を出たあと、新勝寺の東側をぐるりとまわり、成田山平和大塔の裏手付近までをつなぐ2.4kmのルートで考えられていました。

成田山モノレールおよび成田観光開発のモノレールルート
(c)成田山モノレール観光株式会社
成田山モノレール株式会社が導入しようとしていた アルウェーグ式モノレールは、当時 名古屋電鉄、日立製作所らの手によって 国内展開を開始しようとしていた交通機関。

免許申請が成されたのが1964年となっていますが、この4年前となる1959年 8月7日には東京モノレール社が設立され、この間 1962年の3月21日には、犬山ラインパークモノレールが開業

1962年5月には、東京モノレールの子会社となる熱海モノレール社が 熱海駅 および 熱海ロープウェイ間における免許を申請、さらに続けて 1964年の9月17日には、いよいよ 東京モノレール羽田線が開業する事となります。

成田山モノレールは、こんな 日立アルウェーグ式モノレール いけいけどんどんの時期に立ち上がった かなり前向きな計画だったのです。


とはいうものの、この新勝寺までのモノレールについてはその後、成田山モノレール株式会社の申請が却下され、成田観光開発株式会社側の申請が通過する事となりました。

この時点で 成田山モノレールは、世に言う未成線となってしまったわけです。

先程紹介した熱海モノレールにおいては、東芝式モノレールでの導入を考えていた東邦観光開発株式会社側の申請が却下され、日立アルウェーグ式での免許申請が通過したのですが、反対に ここ 成田山のモノレールでは 日立製作所ではなく、日本ロッキード式モノレール つまり川崎グループ側の免許申請が通過した という事になります。

アルウェーグ式モノレール車両 (c)Alweg


日立製作所のアルウェーグ式モノレール概要図 (c)日立製作所
この幻となってしまった 成田山モノレール株式会社の申請ルート。起点は京成の成田駅の西側 国鉄の成田駅と挟まれた この位置に計画されました。
京成の成田駅の西側、国鉄の成田駅との間に始点駅を計画した。

ルートはこの先、新勝寺付近まで ほぼ電車道をつたって進んでいきます。電車道とはその名の通り、過去に 成宗電気軌道という路面電車が運行されていた区間の一部。成宗電気軌道は1910年に開業、1944年に廃止された路線で、このルート上には今でも2か所、この路面電車が使用してた当時のトンネルが残されています。

距離もたった1kmも短く、現地の散策においても、少し散歩する程度で新勝寺付近まで到達してしまいます。


現在の電車道の様子 そのままモノレールのルート敷設が考えられていた。(画像:MJWS 田村拓丸)
日本におけるモノレール開発黎明期、国内の多くの都市でモノレール敷設の計画が立ち上がりましたが、今回紹介した成田山モノレールや熱海モノレールは、メーカー間開発におけるモノレール路線申請合戦の 数少ない実戦地となりました。

その後、成田山にモノレールが開通する事はありませんでしたが、モノレールという交通システムはその10年後、日本跨座式モノレールとして 標準的な公共交通機関と位置付けれる様になります。

今日運行を続ける多くのモノレールは、このモノレール開発競争時代を経て さらに洗練されたシステムとして 多くの市民に利用されているのです。




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