調査名称 |
川崎市都市モノレール |
ルート |
区間: 溝の口駅 - 宮前平駅 - 登戸駅 - 新百合ヶ丘駅 - 溝の口駅(約38km、8の字に循環)
路線距離: 38.2 km
|
複・単線 |
複線(検討は単線区間を含む) |
モノレール方式 |
日本跨座式標準大型
方式: 跨座式(日本跨座式)
電化方式: 直流1,500V または 直流750V
|
1.川崎市都市モノレール
川崎市都市モノレール計画(仮称:タウンライナー、多摩連環線、川崎市高津区多摩区循環モノレール)は、1970年代初めから1980年代初めにかけて構想された、川崎市北西部(現在の多摩区・高津区・麻生区・宮前区)の鉄道空白地域を解消するための都市モノレール路線建設計画です。
経緯
初期の構想
1973年、川崎市は「川崎市における交通輸送機関の最適ネットワーク形成のための調査報告書」を作成。この中で、新百合ヶ丘 - 川崎駅 - 臨海部を循環する川崎縦貫高速鉄道と共に、カバーしきれない地域を補うために高津区・多摩区に2つの環状モノレール路線が計画されました。1976年の「昭和50年度川崎市都市モノレール計画関連基礎調査報告書」では、具体的なルート案が検討され、複数のルート案が示されました。
宮前平 - 溝の口を16駅で結ぶ環状線
登戸 - 新百合ヶ丘 - 登戸を20駅で結ぶ環状線の「ダブルO-1型」案
都市モノレール等調査
1976年度、1977年度に川崎市が都市モノレール等調査を行いました。この調査は、都市モノレールの整備促進に関する法律に基づき、建設省の補助を受けて行われました。
1976年度: ルートは「溝の口 - 宮前平 - 登戸 - 新百合ヶ丘 - 溝の口」を36駅で結ぶ、約38kmの「8の字」案に絞り込まれました。また、施設計画(駅の透視図)・運転計画も作成されました。
1977年度: 建設費・経営収支の算出が行われました。しかし、「広幅員の道路がない」という問題が指摘され、厳しい結果となりましたが、川崎市は次年度以降も単独調査を継続することにしました。
単独調査とその後
1978年、多摩区・高津区で2、3年間にわたるアセスメントを実施すると報じられました。1980年度、1981年度には川崎市が都市モノレール計画関連基礎調査を実施しました。
1980年度: 車両デザイン案、駅の俯瞰図、「タウンライナー」という名称案が示されました。
1981年度: 新百合ヶ丘 - 溝の口の区間を先行して部分開業する計画に変更されました。川崎市の交通に関する研究会も、川崎縦貫高速鉄道と共にモノレール路線の必要性を訴えました。
しかし、1982年度以降は調査が行われず、都市モノレール計画は中止となりました。その結果、川崎縦貫高速鉄道のルートは変更されましたが、この計画も最終的に中止となり、川崎市北西部には大きな鉄道空白地域が残ることになりました。
|
|
|