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日本のモノレール 熱海モノレール

日本電波塔株式会社
東京タワーモノレール

東京タワー公式の運営会社が、かつて構想下モノレール路線)

社名 日本電波塔株式会社
後の東京タワー株式会社
営業距離 1.2km
駅数 2駅(浜松町駅-東京タワー駅)
複・単線 単線
モノレール方式 跨座式鉄道(システム未表記)

1.日本電波塔モノレール

日本電波塔。なじみがないこの名前も、東京タワーの事だと聞くと しっくりくるかもしれません。東京タワーという名前で広く知られる この日本電波塔、東京のシンボルであり 観光名所の一つとして有名である事は 疑う余地がありません。しかし、この東京タワーを運営する公式の会社が過去 モノレール路線を開業させようとしていた と言われても疑い様しかありませんよね?今回はこの、東京タワーにまつわる モノレール未成線ルートについて紹介します。
東京タワーにまつわる未成線と聞いてピンとこない方もいらっしゃるかもわかりませんが、このモノレール未成線は、当時の東京タワー運営会社が 公式に免許申請した いわば 東京タワー公式のモノレール。1957年当時 日本電波塔株式会社として運営を開始した同社は、 2019年に名称を 株式会社TOKYO TOWERへ改称。塔としての日本電波塔は、同社設立と同年の 1957に着工、翌年 1958年12月23日に正式オープンしました。パリのエッフェル塔をもしのぐ 高さ333mの自立式鉄塔、当時としては 世界一の高さを誇りました。まさに戦後復興の象徴として、この地にそびえたっていたのです。

日本電波塔が新生したモノレールの免許申請書類 
ここからが本題です。実は過去、この東京タワーを運営する日本電波塔が、国鉄の浜松町駅と東京タワー間をつなぐモノレール路線を計画、免許申請を行っていました。この嘘の様な本当のモノレール、今日はこの路線の概要とルートの現在の状況について散策していきます。

日本電波塔のモノレールは、昭和36年 4月1日付けで免許申請。昭和36年とは、西暦でいう所の1961年。東京タワー開業後の およそ 2年強で提出されていた事になります。
なお、この 日本電波塔モノレールの起点となる 国鉄浜松町駅からは その後の1964年より 東京モノレール 羽田線が営業を開始しています。当時 東京モノレールは 未だ 日本高架電鉄という名称だった時期なのですが、この日本高架電鉄が計画していた当初の羽田線ルート、羽田空港から新橋間のルートで免許申請されていました。しかしながら、新橋駅周辺の用地取得 並びに モノレール軌道と 国鉄との線路横断部分の交渉が進んでおらず、昭和36年、つまり1961年の12月に 浜松町から新橋の区間の建設を 先延ばしにする申請を行っています。
開業当時の東京モノレール浜松町駅 
結果的に、この申請延長部となった 浜松町駅から 新橋駅間 のおよそ 1.2kmの部分については、幻の 東京モノレール路線延伸部となったわけですが、この件については また別の機会に紹介します。

東京モノレールが浜松町駅止まりとなった事と、日本電波塔のモノレールの免許申請が 同じ 1961年だったというのは、いろいろな背景があったことを想像せずにはいられません。

※右が日本電波塔が免許申請したモノレールルート、起点駅の浜松町駅は現在の東京モノレール浜松町駅に近接して建設しようとしていた事がわかる。
 
こちらは起点駅 東京タワーモノレール 浜松町駅が出来るはずだった位置の 現在の様子。JRの高架線下を通過する関係で、自動車用道路が 若干手前に下っています。日本電波塔のモノレールは この真上に 高架線で駅を設ける計画でした。

それでは早速、浜松町駅側から、このルートに沿って進んでいきましょう。
 
なお、この日本電波塔のモノレール、申請書の記載文言をベースとすると、跨座式で敷設される事が明記されており、また 日本高架電鉄、現在の東京モノレールと時期が近接している事から、アルウェーグ式モノレールで建設する事を 思案していた事が伺い知れます。

当時 東京モノレールでは、当初計画していた 新橋駅前の終点を 現在の終点としている 浜松町駅へ短縮し開業する事を決定していました。おそらく この日本電波塔モノレールは、東京モノレールへの接続も視野にいれつつ、路線敷設を検討していたに違いありません。が、この点に関する文献や資料については 当室としては見つける事ができませんでしたので、あくまでも想像の域を出ないものとして お聞きいただけると幸いです。

東京モノレール1000形車両
さて、日本電波塔モノレールは、増上寺前交差点の 若干手前の 丁度 この先の位置よりルートを右にそらしました。

正面に位置する増上寺を交わす事と、この 増上寺の奥手に位置する 東京タワー通りが、やや 北側に配置されているためです。

モノレールルートとなるはずだった大門を有する道路
増上寺の敷地北側をかすめつつ、モノレールルートはこのまま 現在の 東京タワー通りに抜ける線形を取りました。

全区間とまではいかないまでも、同未成線については 道路が並行して配置されており、比較的散策し易い線形となっています。

増上寺の敷地北側を進んできたモノレールルートは、この交差点の直上より、通称 東京タワー通りに沿う形で東京タワーの北側部分を目指しました。日本電波塔モノレールの東京タワー駅は、この東京タワーの北側に寄り添う形で配置が思案されていました。

東京タワー運営会社が企画するモノレールでしたので、他のモノレールルートと異なり 東京タワーにかなり近接した位置に駅を配置する計画だったと考えられます。実際に免許申請書に記載される線形図からも、東京タワーの北側敷地付近に モノレール駅を設ける予定だった事が伺えます。

東京タワーより浜松町駅方向を見る
1.2kmと聞くと かなり短い路線と受け取ってしましますが、当時は未だモノレール開発の黎明期。当時建設中または開業していたモノレールの一部を紹介すると、1962年開業の、名鉄ラインパークモノレール線が全長1.2km、1964年開業の東山公園モノレールが 全長0.5km、1966年開業の 小田急向ヶ丘遊園線が 全長1.1km、同じく1966年開業の姫路市営モノレールが 全長1.6km と 日本電波塔が申請したモノレール路線の 1.2kmは、当時のモノレールとしえては 比較的一般的な長さだったのです。
名鉄ラインパークモノレール線(後の犬山モンキーパークモノレール線)の営業車両
とはいえ、この日本電波塔のモノレールはその後、昭和43年 1968年の10月に免許へ返付され、事実上の未成線となりました。再申請する旨の記載もなく、既に周知の事実の通り 今日に至るまで建設される事はありませんでした。建設していたら、この景色もまた違ったものになっていたのかもしれません。TV各局の電波塔として、また戦後多くの番組を発信してきた東京タワー。そして、この運営会社が申請したモノレール路線。

東京タワー
日本電波塔とモノレール路線申請という単語は多く目にしてきましたが、実際にどのような線形で思案していたのか、今回の撮影で 現地の雰囲気と状況を見る事ができました。この手の話ではよくある話ですが、この路線が開業していたら、浜松町周辺 そして東京タワー周辺も 随分と違った景色に きっとなっていた事でしょうね。といったところで、今回は 東京タワーを運営する 東京タワー株式会社の前身、日本電波塔が計画した 浜松町駅から東京タワー間 およそ1.2kmの モノレール路線構想について紹介しました。





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