インデックスページへ※新しいウィンドウが開きます。            PC用お気に入り登録PC用

  Monorails of Japan website > モノレール国内編 >
日本のモノレール 熱海モノレール

大宮市都市モノレール
埼玉中枢都市圏モノレール構想

埼玉中枢都市圏都市モノレール構想の中心路線
(大宮都市モノレール・大宮市営モノレール)

調査名称 大宮市都市モノレール
ルート 宮前新駅〜水判土〜大宮駅西口〜七里 19km
複・単線 複線
モノレール方式 日本跨座式標準大型
上尾市モノレール車両

1.大宮市都市モノレール

かつて埼玉県域に構想された巨大な都市モノレール構想網、その一角大宮都市モノレール。かつて埼玉では 中枢都市圏における複数の都市モノレール構想が立ち上がり、最終的にはそれらを短絡させ、埼玉中枢都市圏を網羅するという大掛かりなモノレール構想がありました。1970年後半から1980年代、当時は都市モノレール構想の検討をどの都市でも行っていた時代。これは当時 いわゆる都市モノレール法が施行された事と、都市モノレールの検討調査に補助金がでる事となったため、多くの地方都市で モノレールの導入が検討された事に他なりません。この法律により開業したものとして、北九州、大阪、千葉、多摩、沖縄等 多くの都市モノレールが 現在でも活躍を続けています。
当時、埼玉中枢都市圏においても 同様に都市モノレールの調査および検討が行われました。1980年には浦和市 浦和市営モノレール および 川口市 川口都市モノレールを検討、1982年には 大宮市 大宮都市モノレール、1984年には 上尾市 上尾市都市モノレール等の、都市モノレール調査が行われました。

これらは各々の市が それぞれで調査を行ったものではありましたが、いずれのルートも 起点、終点 または起終点両方ともが他の市域で検討されていた都市モノレールと接続され、埼玉中枢都市圏全体を都市モノレールで網羅するという大規模路線網として考えられていました。しかしながら 現実が示している通り、これら埼玉県域で構想されたモノレールについては、いずれも開業を果たすことはありませんでした。

北九州、大阪、千葉、多摩の様に 都市計画決定まで至り、開業、さらには大阪や多摩の様に その後もさらなる延伸を続ける路線もある一方、多くの都市モノレール構想が 文字通り構想止まりとなり、開業を果たしませんでした。つまりは埼玉県域各都市のモノレールも、都市モノレールの一つの可能性だったわけです。大宮都市モノレールも、浦和都市モノレール構想と 上尾都市モノレール構想の間を繋ぐ路線という 重要な位置づけとして検討されたルートでした。
埼玉中枢都市圏都市モノレール路線構想
埼玉中枢都市圏都市モノレール路線構想
(c)Google earth
1980年代、埼玉県の南側の地域、具体的には、旧大宮市、旧浦和市、旧与野市、上尾市、川口市などでは、当時、各都市で導入が検討されていた、都市モノレールおよび新交通システムの導入計画が、同じように進められていました。埼玉中枢都市圏においても、これらの課題解決に資する都市モノレールに関心が高まり、検討が行われていくようになりました。いわゆる、埼玉中枢都市圏都市モノレール構想です。

高度経済成長期以降の日本では、埼玉だけでなくいずれの都市でも、モータリゼーション等に伴う交通渋滞、土地利用の検討が協議され、一種の共通課題として認識されていました。埼玉県では、埼玉中枢都市圏構想が1980年に策定され、旧与野市、旧大宮市、旧浦和市、上尾市、伊奈町の4市1町のローマ字表記の頭文字をとり「YOU And Iプラン」と称されます。埼玉県の主要部に配置される 埼玉中枢都市圏においても この構想をベースに、各都市で 都市モノレールの敷設が検討されていく様になります。このうちの一つ、旧大宮市においても、日本モノレール協会に調査を委託する形で、大宮都市モノレールの整備の検討が行われていきました。
埼玉ユーアンドアイプラン
「さいたまYOU And Iプラン圏域図」(c)埼玉県
赤線が都市モノレールルート
大宮市とは、2001年まで存在した 埼玉県南部の市です。大宮市は、発展する都市圏内の商業・業務の中核都市として、また埼玉中枢都市圏の中心的都市として、当時人口も36万規模に達する年へと成長しており、来るべき50万都市を前提とする 都市整備を進めていこうとしていました。しかしながら、当時どの都市でも抱えていた課題、急激なモータリゼーションにより 交通混雑をはじめ、車社会のもつ様々な問題が発生しつつありました。

埼玉県域図
埼玉中枢都市ではどの都市でもそうであった様に、東京指向の交通網形成から、南北方向に比べ東西方向の交通整備が遅れており、この東西方向の交通網の確保が課題と位置付けられていました。大宮市に先行し、関連する川口市では昭和53年および昭和54年、浦和市においても 昭和55年および56年において、都市モノレールの調査を実施し、市内の東西方向の交通救済を兼ねたルート検討が成されていました。大宮市でもこの後、都市モノレール調査を実施する事になります。市が置かれている状況と、市の将来像を踏まえた、公共交通システムとしての都市モノレール等の導入について検討する事となったわけです。

浦和市の都市モノレール等調査報告が完成した翌年、昭和57年および58年の二カ年にわたり、社団法人 日本モノレール協会に調査を委託し 大宮都市モノレール調査報告として取りまとめる事となりました。
大宮市都市モノレール調査報告 
大宮市都市モノレール等調査より (c)大宮市
大宮都市モノレールの基本線形ですが、当初は図に示すA、BおよびCのいずれかのパターンで敷設する事をベースに 検討が開始されました。大宮都市モノレールだけではありませんが、埼玉県域では 多くの再開発地区が設定され、このいくつかはその後整備が進められました。大宮市においても、西の水判土地区、東側の新規開発地区と 大規模再開発を控えた地区が存在し、必然的にモノレールルートは 中心となる大宮駅を介して 東西方向へ伸び、この再開発地区および 主要鉄道路線網の各駅に接続する事が前提となりました。 大宮市都市モノレール検討路線図
大宮市都市モノレールの検討ルート
大宮市都市モノレール調査より (c)大宮市
ただ、大宮都市モノレール構造の東側については鉄道線がありません。しかしながらここには、将来の 南北モノレール構想との接続を前提とする分岐駅が配置される構想で、将来的に鉄道路線網のハブ駅となる地区でした。よって、この時は主要鉄道路線がないにもかかわらず、この地を西側の終点に据え置く予定だったのです。 埼玉ユーアンドアイプラン
水判土地区再開発 (c)日本モノレール協会
また大宮都心部ではもう一つ、核都市拠点地区が設けられていました。後のさいたま新都心です。当時は今の様に開発が進んでいませんでしたが、この開発整備が進む前提で 必然的に ここを迂回する線形が 構想として取られていく事となります。

検討の最終案では、当時国鉄の大宮駅中心部を東西で連絡する事が物理的に難しい事と、先ほど紹介した操車場跡地周辺に開発が予定されていた 核都市拠点地区に連絡するルートが妥当という事で、A案の西側ルートとC案の東側ルートを JR線に沿って結んだ いわばA案とC案のハイブリッド線形が提案される事となりました。この時、全長は最大で18.7kmにおよぶものとなっていました。
大宮市都市モノレールルート
大宮市都市モノレールの選定ルート
大宮市都市モノレール調査より (c)大宮市 
 
ルートの起点は、北東部には西部台地宮前地区が位置し、この付近の新市街地開発計画に合わせて国鉄川越線に計画されていた新駅をスタートとします。

当時はこの川越線の新駅、仮称 宮前駅と呼ばれており、各種の構想図でも その名前を見る事ができます。なおこの新駅ですが、後の西大宮駅として 2009年に開業しています。つまり、厳密に言うと 大宮都市モノレールの宮前駅の位置はもう少し東側に配置される構想であったと思われます。
大宮市都市モノレール宮原駅
この後、都市計画道路 植水指扇線を拡幅利用して南進し、中野林地区に至ります。この周辺 都市計画道路は永く存在するものの 現在でも開業を果たしていません。この計画の詳細が公表されたのが昭和59年 つまり1984年ですので、既に40年近く経っている事になります。

画像に見える位置が、大宮都市モノレールの南側に配置が予定されていた 浦和都市モノレールとの接続部で、この地区では モノレールのハブ駅を抱き込む形で機能させる 水判土開発地区が配置される構想でした。
大宮市都市モノレール水判土駅
ただし大宮都市モノレールを検討する大宮市としては、ルート北側に位置する上尾都市モノレールとの接続が 恐らく優先順位としては高く設定していたと思われます。その根拠が、大宮都市モノレールのルート上に配置された駅のナンバリング。

上尾都市モノレールとの接続駅が第1駅として設定され、水判土開発地区の分岐駅が 第6駅、その後 大宮駅、終点の七里駅へ向かうにつれて番号が増加しており、七里駅が第19駅として設定されています。

浦和都市モノレール側はというと、七里駅につけられた番号 第19駅の次が、浦和都市モノレール接続部側の第20駅として記されており、あくまで優先順位としては 大宮駅西側、次いで大宮駅東側、その後が浦和都市モノレール側 として考えていたようです。
大宮市都市モノレール駅ナンバリング
大宮市都市モノレール設置駅のナンバリング
大宮市都市モノレール調査より (c)大宮市 
水判土開発地区に配置が計画されたハブ駅で 大宮都市モノレールルートは 東へ進路を変え、都市計画道路 3・2・81号 三橋中央通線を拡幅して大宮駅西口に到達します(図中緑色の線)。

ちなみにこの都市計画道路 3・2・81号 三橋中央通線、現在三橋2丁目交差点から、水判土交差点までの事業が 令和4年に着手され、その工期は 令和10年までとなっています。計画幅員は25〜27mと、大きく拡幅が成される事となりました。
大宮市都市モノレールの基本ルート
大宮駅西口からは 大きく右折、国鉄新幹線高架線に沿って南下し、西口と南大通線との中間付近の 新幹線高架下で交差。京浜東北線については、貨物船とともに西側にまとめて配置し、これを前提として都市モノレールを通勤新線 仮称10駅、京浜東北線新駅ともアプローチできるような位置に計画駅を設置。現在のさいたま副都心の事ですが、この核都市拠点の代表位置にモノレール駅を配置、この東西線を都心軸とした開発を思案しました。 大宮市都市モノレールさいたま副都心周辺
大宮市都市モノレールルート図より
大宮市都市モノレール調査より (c)大宮市
核都市拠点の東側は、核都市連絡道路構想計画の一部を利用して東部大地に上り、御蔵地区、南中野地区等 新しく開発されつつある区域に 新たなる動線として街路を計画し、この付近の面整備を促進して 東武野田線 七里駅に至るものとなっています。

大宮都市モノレール 全線となるおよび19kmの間、駅数は全部で19、うち中間駅を14、管理用の主要駅を5駅設ける設定としました。平均停留所間隔は、他都市のモノレールと同様 1.04kmとなっています。営業車両は、2軸ボギー式跨座型電動客車4両固定編成、つまり日本跨座式大型の4両編成タイプを導入する事を想定しました。
大宮市都市モノレール七里駅側ルート
大宮市都市モノレールルート図より
大宮市都市モノレール調査より (c)大宮市
これらの構想はもちろん、ルート全体を一気に建設するというものではなく、第一段階および第二段階に分け、整備を実施していく方針でした。初期区間となる第一段階では、水判土地区に配置されるNo.6駅より 三橋中央通り線に帰属し、大宮駅西口に配置されるNo.9駅までの 3.3kmの区間。

次の段階として、上尾都市モノレール接続駅となるNo.1駅から南進、水判土地区 No.6駅までの5.1km または、大宮駅西口 No.9駅から、No.19駅 七里駅までの10.3kmを整備する構想でした。ただ、採算性調査では、大宮駅西口の採算性が 東側より優れていて、特に 大宮駅西口から水判土地区までの利用者は、この都市モノレールで 最も利用者が多い区間として計算されていました。
大宮市都市モノレール基本線形
段階的整備の区間
大宮市都市モノレール調査より (c)大宮市
またここを優先したかった理由の一つに、車庫用地の確保があげられそうです。水判土地区に配置が予定されるNo.6駅は、将来の浦和都市モノレールとの分岐駅として位置づけられており、段階的整備を行う上で、車庫の立地要件にも優れていたからです。 三橋中央通り線
大宮都市モノレールのルートのうち 三橋中央通線は後に新交通システムでの敷設が検討された。
水判土地区再開発 より (c)日本モノレール協会 
大宮都市モノレールのルートは、南側に位置する浦和都市モノレールの北端部 現在の埼玉大学脇位置へ接続する予定でしたが、構想立案時、浦和都市モノレールとしてもこの周辺のルートの最終決定とは至らず、この地点に整備が予定されていた、都市計画道路を伝って北上、大宮都市モノレールへ接続するものとして考えられていました。

なお、水判土交差点脇より、この浦和市方向に配置が予定される都市計画道路、2023年現在も 未だ未整備の状態となっています。
水判土地区再開発
水判土地区再開発のイメージパース
水判土地区再開発 より (c)日本モノレール協会 
いずれにせよ、この大宮都市モノレールのみならず、埼玉中枢都市圏の都市モノレール構想は いずれも開業を果たす事はありませんでした。

北から順に、上尾、大宮、浦和、川口と 合計で4路線の構想が立ち上がったわけですが、これらは 後に ユーアンドアイプランという埼玉中枢都市圏 開発計画をベースとしたもので検討が進められ、4都市が連携 4つの都市モノレールが接続する事を前提とする 大規模モノレール構想として立案されていく事となります。
浦和都市モノレール未成線ルート
なお、大宮 浦和 川口の3路線でも、県南中央都市連絡S字型モノレール構想として構想案が示されており、北側の上尾市を含む、南北4市において連携を深めようとしていた事が よくわかる全体構想となっています。これらのモノレール構想は後に その機運も衰退の一途をたどり いつしか名前を聞くこともなくなってしまいました。

大宮都市モノレールの大宮駅西口から水判土地区までのおよそ3kmについては、後にリムトレインというリニア方式の小型鉄道での敷設も提案されましたが、この計画もいつしか消えています。
県南中央都市連絡S字型モノレール構想
大宮市都市モノレール調査より (c)大宮市


モノレール 国内編へ

サイトトップへ戻る

Welcome to mjws!The index page is here.