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-Sapporo Transportation Bureau-
Automated Guideway Transit system
1.札幌市営地下鉄社名 札幌市交通局(札幌市交通局高速電車部)(路線名) 南北線、東西線、東豊線 開業年月日 南北線 1971年、東西線1976年、東豊線1988年 営業距離 南北線 14.3km、東西線20.1km、東豊線13.6km 駅数 南北線 16駅(起点 麻生駅、終点 真駒内駅) 東西線 19駅(起点 宮の沢駅、終点 新さっぽろ駅) 東豊線 14駅(起点 栄町駅、終点 福住駅)(いずれも起終点駅含む) 複・単線 複線 営業最高速度 南北線 70km/h、東西線 70km/h、東豊線 70km/h 札幌市営地下鉄は北海道札幌市が運営する地下鉄路線。現在、南北線、東西線、東豊線の3路線で運営されている。いわゆる中央案内軌条式のゴムタイヤ鉄道に類する。いずれも中央案内軌条式鉄道となっているが、案内軌条の形状は南北線ではT字型、東西線・東豊線ではI字型が用いられている。札幌市営地下鉄では全線で自動列車運転装置(ATO)による運行が実施されている。使用される車両型式はそれぞれ、南北線では5000形(6両編成20本)、東西線では8000形(7両編成24本)東豊線では9000形(4両編成20本)で運用されている。 2.札幌市営地下鉄誕生札幌市は、面積1121平方㎞と、日本で第3位の市域を有する。人口は、地下鉄の基本計画の作業が始められた昭和43年当時、すでに93万5902人に達し、百万都市に成長するのは時間の問題とされていた。なお、2020年5月現在では、札幌市の人口は196万人に増加し、およそ2倍(対昭和43年)となった。 このような人口増加と、周辺地域における住宅、工業団地の急増は、輸送需要の急増を招き、新しい輸送手段の整備が強く望まれるようになった。同時に自動車交通量の激増によって、都市交通の主体をなしていた路面電車やバスの表定速度は年々低下するに至った。加えて札幌市は、積雪寒冷地であり都市交通の抜本的改革は、社会問題化していた。このため、輸送の動脈を、大最輸送に適する新たな輸送機関によって構成し、路面電車およびバスについては新たな輸送機関との関連においてそれぞれの役割を果たす、有機的な機能分担を図る必要がでてきた。 1964年(昭和39年)10月1日、札幌市議会で、「札幌市における将来の都市交通網計画」が明らかにされた。これが、札幌市における高速軌道構想がまとめられた最初である。 その内客は、1970年(昭和45年)から同60年にかけての都市交通計画を策定したうえ、地下鉄、モノレール、路下電車などを検討、地下鉄が望ましい、と結論を出したものである。同時に、路線としては、東西・南北の2路線の高速輸送機関を完成させる構想であった。 この交通網計画に基づき、札幌市交通局は、都心部の交通混雑緩和対策として、高速交通機関について研究を進めることとし、1964年(昭和39年)11月4日、東苗穂自動車訓練所に試走路を建設、ゴムタイヤ車輪の「札幌方式車両」の第一次試験に着手した。 さらに1966年(昭和41年)に入り第61回IOC総会において第11回オリンピック冬季大会が札幌において開催(1972年(昭和47年2月))される事が決定し、会場と都心部を結ぶ大量輪送機関の早期整備が要求される様になった。1966年(昭和41年)8月26日には、札幌市高速軌道等調査専門委員規則を設け12人の学識経験者を委員に委嘱して「札幌市高速軌道等調査専門委員会」が設立さた。この結果、1967年(昭和42年)7月7日「札幌市における高速軌道整備計画に関する報告」がまとめられ、成案として提出された。 この報告を基本として、南北線(北24条~真駒内)12.1kmの建設計画が策定され、1967年(昭和42年)第4回定例市議会の議決を経て、1968年(昭和43年)3月に免許申請、1969年(昭和44年)3月に着工し、札幌冬季オリンピックを2か月後にひかえた1971年(昭和46年)12月、南北線(1号線)北24条〜真駒内間12.1kmが開業する事となった。 1971年(昭和46年)3月に公表された札幌市長期総合計画は、おおむね20年後の1990年(昭和65年)(平成2年)を目標年次として策定された。総合的交通体系の整備の中で、都市高速鉄道についてはつぎのとおり計画されている。 都市高速鉄道計画については、札幌市高速軌道等調査専門委員の答申に基づき昭和60年を目標として、都心で交差する南北線25 km、東西線20㎞、計45 kmを策定し。現在。南北線の北24条~真駒内聞12 kmを建設中であるが、1990年(昭和65年)(平成2年)の都市高速鉄道輸送の分担量は126万1000人/日と推定されるので、さらに路線延長と新路線の建設が必要である。 この路線選定にあたっては、 (1)副都心的商業業務地、流通業務地、大規模住宅団地、業務施設等と都心圏を連絡し、高密度な住宅地域を通過する。 (2)他系統への乗り換えは1回で連絡するものとし。混雑を緩和するため、乗り換え地点の分散をはかる。 以上の要件を満たす路線として、総延長約60 kmの3路線を建設する。 ア.高速1号線(南北線)約29 km 花畔地区~(茨戸)~(札幌駅)~(大通)~(真駒内)~藤の沢地区 イ.高速2号線(東西線)約20km 下野幌地区~(南郷)~(束札幌)~(大通)~(琴似)~発寒地区 ウ.高速3号線(第2南北線)約11km 元町地区~(駅北口)~山鼻地区 この計画を基本として、東西線琴似~白石間9.9km、南北線延長麻生~北24条間2.2km、東西線延長白石~新さっぽろ間7.4kmの建設計画を策定した。 南北線に続く事1976年(昭和51年)、琴似〜白石間9.9kmの東西線(2号線)が開業、さらに2年後の1978年(昭和53年)には、南北線の北24条〜麻生間2.2kmが延伸開業、1982年(昭和57年)東西線の白石〜新さっぽろ間7.4km延伸開業する。 1988年(昭和63年)には札幌市営地下鉄3つめの路線となる東豊線(3号線)、栄町〜豊水すすきの間8.1kmが開業、1994年(平成6年)には豊水すすきの〜福住間5.5kmが延伸開業、1999年(平成11年)東西線の琴似〜宮の沢間2.8km再延伸と、その路線長を順調に拡大させていった。今現在では、全長48.0kmにもおよぶ路線網を形成し、名実ともに札幌の主要公共交通機関となっている。
3.営業車両3-1.南北線5000形南北線既存車両の置き換えのために登場した。1995年から2011年にかけて、6両編成20本の120両が落成している。従来の連接構造をやめてボギー車とし、扉の数を増やして乗車効率の向上による混雑緩和を目指した。片側4扉、全長18.4mの車両で、車体はアルミ製として塗装を行っている。走行機器にはVVVFインバータを採用し、台車はゴムタイヤ式のボルスタレス台車だ。2009年投入車からはATO(自動運転)によるワンマン運転の対応車両となり、車内の案内表示器は液晶モニタを採用した。既存の5000形もワンマン運転に対応するための改造を行った。主要諸元 製造初年 1995年 制御方式 VVVF 全長 18.4m 主電動機出力 150kW 走行輪中心間隔 2230mm 運転最高速度 70km/h 電力方式 直流750V 在籍両数 120両 集電方式 第三軌条 編成両数・本数 6両×20本 3-2.東西線8000形東西線宮の沢延伸開業にあわせて登場した形式路線延伸に対応した車両で、新技術の導入をはじめとしたモデルチェンジを行った。1998年から2008年にかけて168両が落成し、同線の車両を統一した。当初は延伸用の7両編成と既存車両の増結車が製造され、後に既存車両を置き換えている。東西線では車庫線で無人回送運転を行っており、そのための機器を搭載している。片側3扉、全長18mの車両で、車体はアルミ製として塗装を施工。走行機器はVVVFインバータを採用し、ゴムタイヤ式ボルスタレス台車を履く。現在7両編成24本が活躍し、ATOによるワンマン運転とホームドアに対応している。 主要諸元 製造初年 1998年 制御方式 VVVF 全長 18m 主電動機出力 70kW 走行輪中心間隔 2150mm 運転最高速度 70km/h 電力方式 直流1500V 在籍両数 168両 集電方式 架空線 編成両数・本数 7両×24本 3-3.東豊線9000形ATO・ワンマン運転化に対応した東豊線の2代目車両東豊線7000形の更新車両として、ATO・ワンマン運転化に対応した9000形車両は、2015年から2016年にかけて4両編成20本の80両が完成している。1両片側3扉、全長18mでアルミ車体に塗装を施工している。環境負荷低減を目的に、既存車両の台車の再利用や消費電力の少ない電気装置などを積極的に採用している。ユニバーサルデザイン対応として、各車両に車椅子スペースを設置している。また、両先頭車の乗務員室内に非常梯子を設置し、さらに客室内にも設置し、より一層の安全対策を施している。 主要諸元 製造初年 2015年 制御方式 VVVF 全長 18m 主電動機出力 70kW 走行輪中心間隔 2150mm 運転最高速度 70km/h 電力方式 直流1500V 在籍両数 80両 集電方式 架空線 編成両数・本数 4両×20本 |
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※AGTは分類上「モノレール」に該当しませんが、両者とも新交通システムという大枠並びに中距離軌道系交通機関である事を鑑みて、モノレール国内編として掲載させていただきました。 |