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ヨーロッパのモノレール

トリノ国際労働博覧会モノレール
Monorail of Expo 1961(Monorotaia di Torino ・Italia´61)
Type ALWEG org

photo by Jean-Henri Manara


(c)Shutterstock.com
路線名 トリノ国際労働博覧会モノレール
Monorail of Expo 1961
(Monorotaia di Torino ・Italia´61)
年月日 開業:1961年5月1日
廃止:1693年11月
営業距離 全長:1.16km
駅数 駅:2駅
Stazione nord(北駅)-Stazione sud(南駅)
複・単線 単線
モノレール仕様 ・アルウェーグ式オリジナルタイプ
編成:3両編成
輸送量:297人/編成あたり(現地スペック座席80、立位120)
車体仕様
 長さ:30.28m/編成あたり
 幅:3.02m
 高さ:4.03m
 重量:38t
駆動方式:113kW×4/編成あたり、直角カルダン駆動
供給電源:1200V,D.C.
減速装置:空気式制御車型ディスクブレーキ
最高速度:80km/hr(実際の営業運転では50km/hr)
設計最高速度:90km/hr
走行輪:空気入りタイヤ(13.00-20)空気ばね
安定輪:空気入りタイヤ(7.50-15)ゴムばね
インフラ仕様 走行桁:0.8×1.4×20m(PSコンクリート)
支柱高:GLよりおよそ6.5m
1.トリノ国際労働博覧会モノレール

イタリア建国百年祭記念万国博覧会会場内の観客輸送用として建設されたモノレール。博覧会終了後は約11kmに延長され、トリノ市の交通機関となる予定とされていたが、実際には万博開催の2年後に撤去された。現在でも南駅および北駅の一部の遺構が残されていたが撤去が進んでいる。北駅は検収庫を除く駅舎部分が2016年まで残存していたが、現在では改装されボランティア団体が使用している。

トリノ万博(Expo 1961)は、正式にはイタリア統一百年記念トリノ国際労働博覧会(BIE:専門展)
と称される万博で、1961年5月1日から1961年10月31日までの6ヶ月間の期間で開催された。
 
Stazione nord(北駅) © Hitachi, Ltd.


Stazione sud(南駅) ©Shutterstock.com

トリノ国際労働博覧会モノレール路線図
Monorail of Expo 1961 System Map


このイタリア万博の会場内輸送用交通機関として採用されたのが、ケルンの試験線で試験されていたアルウェーグ式モノレール。車両は両端の車両にヘッドキャビンを持つ連接式の3両固定編成で、一度に297人の観客を輸送できた。軌道桁サイズは幅0.8m×高1.4mのいわゆるミドルクラスに分類される。日本国内では日本モンキーパークモノレール線、東京モノレール羽田線および沖縄都市モノレール等がこれに該当するいわゆるアルウェーグ式モノレールのスタンダードクラスと言える。

2.トリノ万博終了後(廃止)

 モノレールは万博終了後、数ヶ月間運転を停止したものの、1962年、1963年の春および夏に児童の輸送に用いられました。その後1963年11月末に廃止となりました。1970年代初めから軌道桁は撤去が進められ、現在残されている遺構としては、南駅および北駅のホーム部と、湖内に設置された軌道桁のみとなっている。
 北駅については改築および改装され、現在レジーナマルゲリータ子供病院の一部として使用されている。
 車両自体は1963年11月の廃止後も保管され続けていたものの、1970年代後半になって火災災害や破壊されている事が判明、1981年には解体されてしまい、現在存在しない。
 
Stazione sud(南駅)周辺
中央に見えるのは人工湖で、モノレール支柱はこの中央を横断した。

車両は1981年に解体 
日立アルウェーグモノレール(パンフレット)_ © Hitachi, Ltd.

3. トリノ国際労働博覧会モノレールが日本へ与えた影響

このトリノ万博モノレールは、後にモノレール大国となる日本にも多大な影響を与えた。当時の名古屋鉄道・土川社長、技術・白井氏はこのモノレールを実際に見学し感銘を受けた事でも知られ、日本帰国後同社はアルウェーグ式モノレールの導入を決定。開発が進められていた犬山ラインパーク(後の日本モンキーパーク)へ、日立製作所と提携する形でこのアルウェーグ式モノレールを採用(犬山ラインパークモノレール線:1962年開業)。

日本モンキーパーク線MRM型
トリノ博~翌年に製造された、アルウェーグオリジナルタイプ類似型。
名古屋鉄道と日立製作所によって国内へ導入された。
トリノ博モノレールのDNAが入っている。

その後、犬山ラインパーク線として実績を挙げたアルウェーグ式モノレールは、東京都心と羽田空港を結ぶ軌道系交通機関への採用も決定され、後の東京モノレールとして開業(1964年)を果す事となった。
さらに当時、モノレール開発の黎明期および新交通機関としてモノレールが着目されていた時期でもあったため、国内では多くのモノレール路線計画が立案された。特に犬山ラインパークモノレール線、東京モノレールに関連するシステムとしては、関東レースクラブ(後のよみうりランドモノレール線)、熱海モノレール等、開業もしくは設計まで進んだ路線も多くあった。

国内のおける都市交通機関としてモノレールが立ち居地を確立する事となったのは、後に東京モノレール500形に採用されたボギー台車の技術および都市モノレール法のベースシステムとなった大阪万博へのモノレールの採用にあった。特に、それまで2軸がベースであったアルウェーグ式モノレールは、この東京モノレール500形で採用したボギー台車によって、それまでの能力より大きく輸送力を向上させた。さらに課題となっていた床面のタイヤハウスの出っ張りを無くす事で、国内の各地方で検討されていた交通機関への採用を推し進める事となった(大阪万博モノレール)。
 
東京モノレールの成功は、後にアルウェーグ式モノレールの成功と同意となった。

アルウェーグ式モノレールボギー台車
沖縄都市モノレール車両基地内にて展示

いわゆる都市モノレール法が制定されてからは、北九州(大型)、大阪(大型)、多摩(大型)、沖縄(大中型)、さらに国外展開として重慶2および3号線(中国)、大邸(韓国)、パナマシティ(パナマ)等多くの国や地域で採用が進んでいる。ここまでスタンダードモノレールシステムとして周知され、さらに広い地域に拡大を続けるアルウェーグ式モノレールも、大元を辿ればトリノ万博モノレールへと繋がっている。

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