※新しいウィンドウが開きます。
Welcome to mjws!The index page is here.
以下動画内コメントを概略として示しております。 今回ご紹介するのは、かつて名鉄犬山線の犬山遊園駅から成田山名古屋別院大聖寺を経て日本モンキーパークに至1.2kmのモノレール路線、名鉄モンキーパークモノレール線の廃線跡についてです。 廃線マニアの間では定番の路線となりつつある同ルート、この理由の一つとなっているのが今も一部に残る廃線跡と、犬山遊園駅の駅舎に残る支柱跡、そしてモンキーパーク内に残るモノレール車両等、当時の風景を思い浮かべる事のできる遺構の数々が現存している事です。 |
|
モンキーパーク内に残るモノレール車両 (c)MJWS 田村拓丸 |
山中に残る残る廃線跡 (c)MJWS 田村拓丸 |
廃線跡散策の開始地点は、名鉄犬山線の犬山遊園駅から。駅に到着して早速目に飛び込んでくるのが、かつてモノレールの駅舎を支えていたいくつかの支柱です。屋根を支えている支柱にしては、かなり太い支柱がある事がお分かりいただけると思いますが、これれらがかつて、モノレールの駅舎を支えていた支柱となります。ただ、当時ここにモノレールが存在していた事実を知らなければ、恐らくただの支柱としてしか見る事はできません。 |
|
かつてモノレールを支えていた支柱跡 |
駅を上面からみた様子 |
モノレールの駅舎が存在したのは、名鉄犬山遊園駅の東口となります。駅前周辺は現在、広い駐車場として活用されています。モノレールの駅舎は駅の末端部に位置する名鉄犬山線の改札脇に設置されていました、が今現在その様子を知る手掛かりはほとんど残されていません。なお、かつて遊園地の入り口の役割を担っていた当駅も、現在はモノレールがなくなり、さらにバスの発着も犬山駅に集約された事で一時期の賑わいはありません。 同モノレールの開業は昭和37年、西暦1962年に遡ります。当時はモノレール開発の黎明期、当モノレールで採用されたアルウェーグ式の他、サフェージ式、ロッキード式等、多くのモノレールシステムが日本へ導入されました。ただし、現在残っているモノレールシステムは少なく、ロッキード式に至っては、向ヶ丘遊園、姫路の2路線共に廃線となり、完全に消滅したと言えます。 対するアルウェーグ式は最も成功したモノレールシステムという事が言え、今では日立製作所によって海外展開が進められている他、日本以外の多くのマニュファクチャラーによって建設されるモノレール路線、このほとんどがアルウェーグ式モノレールとなっています。話が脱線した様にも思われるかもしれませんが、この成功の発端となったのが、現在紹介している、この犬山モノレールである事は疑う余地がありません。 |
|
アルウェーグ式を採用した東京モノレール |
サフェージ式を採用した千葉モノレール |
モノレール廃線跡の反対車線を少し歩くと、再度踏切が登場します。モノレールルートはこの地点より名鉄犬山線のルートと別れ、山間部を介して成田山駅および終点となるモンキーパーク方向を目指していきます。この地点より地形上は山間部にルートを取る事から、モノレールが最適なシステムであった事が伺えます。この先ルートは丘になっていて、直接徒歩で迎えないため迂回する事にしました。現地には、迂回に最適な歩道が設置されていますので、比較的簡単に廃線ルートに復帰する事ができます。ここから成田山駅までの間、画像左手には成田山名古屋別院大聖寺が位置しています。この駐車場の至る所に、当時モノレールの軌道桁を支えた支柱跡が点在しています。支柱自体はモノレールの廃線後撤去され、支柱が位置していた路面部分は舗装がし直されています。 |
|
踏切を渡り、廃線ルートを進む。 |
軌道があった箇所はコンクリート処理や造成が成され、至る所に施工の跡が残る。 |
成田山名古屋別院大聖寺の敷地の片隅に、かつて犬山モノレールの成田山駅が配置されていました。モノレール軌道は、駅の奥に位置する土手に向かって突き進んで行く格好となりますが、この直前に成田山駅が位置していました。犬山遊園駅からは丁度500mの地点に位置し、駅構造はホーム1面1線の高架駅となっていました。モノレールの廃止と同時となる2008年12月28日、同駅も廃止となっています。駅を出てすぐ、モノレールのルートは直ぐに直後に位置する山間部に姿を消していく事となるわけですが、この土手部分には、当時使用されていたモノレール軌道の廃墟、つまり廃線が今も残ったままとなっています。軌道の周りは名古屋鉄道によってネットフェンス張りが成されており直接軌道に近づく事はできません。右下の画像はネットフェンスの合間から覗いたもので、中に見えるのが当時犬山モンキーパークモノレール線で使用されていた軌道桁です。軌道桁には軌道を支える支承およびその台座が当時の状態で残されていて、表面の錆や苔にエモさを感じます。軌道の奥手側は草が生い茂っており、様子を伺う事はできませんでした。 |
|
成田山駅跡地 |
成田山駅直後の丘部に残るモノレール軌道 |
この先軌道桁を伝って廃線ルートを進むことはできませんでしたので、先ほどと同様に迂回し次なる廃線観察ポイントへ移動します。下の写真が成田山駅から動物園駅の中間地点に位置する場所です。こちらは比較的有名な廃線撮影スポットとなっていて、犬山モノレ―ル廃線跡の紹介記事では比較的頻繁に登場する絵面です。モノレールらしく、高架上にレールが残っている状態 かつレールの表面には全体的に苔が生えきっていて、とてもノスタルジックな風景となっています。こちらのレールも、名古屋鉄道によって周囲にフェンスが張られており、レール自体に触れる事はできません。レールの傍には登山用?の階段および遊歩道が設置されているため、レールの側面についても少し観察する事が出来るようになっています。軌道桁側面には、架線も現役当時のまま残されています。 |
|
突如、モノレール軌道が姿を表す。 |
山中に残るモノレール軌道 |
この先も先ほどと同様に、廃線ルートに沿って次駅を目指すことができませんので、一旦表の道路に出て、終点駅となる動物園駅まで徒歩で移動しました。 モンキーパーク入場口付近まで移動してきました。下の画像に見える池の傍を犬山モンキーパークモノレール線は走っていました。日本モンキーパークおよびモンキーセンターには今も当時のモノレ―ル営業車両が保存されていて、乗車こそ出来ないものの比較的近くで見る事ができます。 |
|
池の傍を犬山モンキーパークモノレール線は走っていた。 |
保存されている当時のモノレ―ル営業車両 |
保存されている車両は、先頭車の101号車と中間車の201号車の2両、廃線となった後の2009年3月19日より同位置にて保存および展示が開始されました。残念ながらプラットフォームに降りる事は出来ないものの、この駅舎の上部に位置するレストラン「楽猿(らくえん)」からは、下に位置するモノレール展示車両を斜め上から見下ろす事ができる様になっています。モノレール車両の展示に合わせて、改めて塗装されなおした車両とホーム柵等でしたが、徐々に経年劣化が進みだしたように見受けられます。なお、動物園駅の奥には営業当時、いわゆるモノレ―ル車庫が併設されていましたが、軌道等は撤去され現在は職員さんの駐車場として活用されているようです。 |
|
先頭車の101号車と中間車の201号車の2両が保存されている。 |
楽猿(らくえん)からみた犬山モノレール車両 |
なお、ここに展示されていない102号車は、製造元である山口県下松市の日立製作所笠戸事業所に帰郷、103号車については、岐阜県可児市のスパリゾート湯の華アイランドにて展示されています。103号車については、展望車(所)として扱われており、車内の見学も行うことができます。座席に座る事もできれば運転台を間近で見る事もできますので、是非スパリゾート湯の華アイランドへ温泉につかりに行って、この展望車に立ち寄り、モノレ―ル営業当時の雰囲気を味わってみるのは如何でしょうか。 |
|
スパリゾート湯の華アイランドにて展示される103号車 |
運転台を間近で見る事もできる。 |
なお、下の写真が動物園駅の現在の様子。現在は封鎖され、当然ながら駅としての機能は有していません。営業当時は、この駅舎の上部に「モノレールのりば」の看板が出ていましたが、廃線に合わせて撤去されています。 |
|
封鎖された駅舎の現在の様子。 |
奥手左手にホームへ降りる階段があるが、現在入る事はできない。 |
以上が犬山モンキーパークモノレールの廃線跡全線の現在の様子となります。冒頭お伝えしましたが、このモノレールはその後、国内外のモノレールシステム発展の礎となりました。2021年現在、中国、タイ、ブラジル、パナマを代表とて未だ発展を続けるアルウェーグ式モノレールシステムですが、この先駆けとなったモノレール路線を一度訪れてみてはいかがでしょうか。 |
|
|
スポンサーリンク