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日本のモノレール 熱海モノレール

未成線・北九州モノレール黒崎線
計画ルートの終点を散策する

北九州モノレール黒崎線(未成線)には、計画によって複数の終着地点が想定されていた。

北九州モノレール黒崎線

北九州高速鉄道(北九州モノレール)黒崎線は、北九州市の副都心黒崎駅付近より小嶺および香月地域を経由し、木屋瀬付近を終点とするモノレール計画路線。
北九州モノレール小倉線開業後に検討が開始されるはずでした。
しかし、その後の小倉線の経営状態の悪化を受け計画は頓挫。
現在では、地元の方でもその存在を忘れつつあるという幻のモノレール計画となってしまいました。

1.複数存在した構想ルート終着点

北九州高速鉄道(北九州モノレール)黒崎線は、国鉄黒崎駅〜木屋瀬付近までを結ぶ全線およそ12kmの計画路線として知られています。
しかしmjwsの調査では、計画された時期や文献によって複数の設定終着ポイントが存在する事がわかりました。
今回は、このそれぞれの終着ポイントについて実際に現地を訪問し、2017年現在どのような様子となっているのか調査を行う事としました。
なお、調査を行うにあたり、参考とした文献を以下に示しました。

参考とした文献または資料
計画名称・文献によって若干の差有り
以下に起点終点および出典元を併記
北九州モノレール黒崎線計画路線図
@黒崎〜茶屋原(現茶屋の原団地付近と推定)/
出典:日本モノレール協会-業務委託納品 S47.1.31
日本モノレール協会 20年のあゆみ/日本モノレール協会

A黒崎〜八幡小嶺 8.8km/
出典:新修・北九州市史 経済編/北九州市 H29.3.20
未成線北九州モノレール黒崎線路線図 
B黒崎〜木屋瀬/
出典:日本の都市と路面交通/西村幸格 芸術出版社 2006.12.30

Cモノレール黒崎〜山浦 11.450km/
出典:円藤寿穂「都市交通とモノレール」
鉄道ピクトリアル No.294 鉄道図書刊行会 S49.6.1
(北九州モノレール〈小倉線・小嶺線〉路線平面図 より)

2.主に9kmパターンと12kmパターンが存在

北九州高速鉄道(北九州モノレール)黒崎線には、主に2パターンの路線計画が存在していた事がわかります(上表左欄)。
1つは、当時の国鉄黒崎駅から茶屋原付近に至る全長9kmのパターン。
そしてもう1つが黒崎駅から木屋瀬・山浦付近に至る12kmのパターン。
いずれも小嶺地区を経由し、200号線に終端部を取る線形となっています。

今回はこれら北九州モノレール黒崎線として計画されたABパターンの終点部について散策を行いたいと思います。
また黒崎線の別名小嶺線の名称の由来となった小嶺区域についても立ち寄りました。

3.小嶺地域

北九州モノレール黒崎線小嶺地域

北九州高速鉄道黒崎線(北九州モノレール黒崎線)の別名、小嶺線の名称の由来であもある小嶺地域。
写真は北九州都市高速道路小嶺インターチェンジ付近の様子で、さらに南下した位置に小嶺台が位置しています。

小嶺台の手前付近にやってきた
211号線 小嶺インターチェンジ付近
(茶屋原・木屋瀬方向を見る)
小嶺インターチェンジ付近の様子
211号線 小嶺インターチェンジ付近
(茶屋原・木屋瀬方向を見る)
 小嶺から黒崎駅方向を見る
211号線 小嶺インターチェンジ付近
(黒崎駅方向を見る)
 小嶺区域以降211号線を南下し、Aパターン(黒崎-茶屋原)およびBパターン(黒崎-木屋瀬・山浦)の終着位置を目指しますが、北九州モノレール黒崎線のメインターゲットとなる地域は、この小嶺付近であった事を抑えておきたいと思います。

これはつまり、北九州モノレール黒崎線のメインターゲットが小嶺地域だったという事=終着地点はこの地域以南に設置する必要があったという事で、必然的に茶屋原や木屋瀬地域まで路線を引っ張る必要があったという事を意味します。

今回の記事のテーマは北九州モノレール黒崎線の終着予定位置の散策という事になっていますが、上述した理由から「小嶺」区域について簡単に画像で紹介いたしました。
 小嶺銘板
小嶺台一丁目の標識

小嶺
標識に記される「小嶺」の文字

4.茶屋原


北九州モノレール黒崎線茶屋原付近を散策する

北九州高速鉄道黒崎線(北九州モノレール黒崎線)の計画の内、Aパターンの終点として位置付けられる「茶屋原」。
この一つ手前の位置に配される駅として考えられるのが大谷団地付近。
「茶屋の原」へは、211(200)号線をさらに進み現在の馬場山交差点付近から茶屋の原団地を目指す事となります。


大谷団地
大谷団地付近の現在の様子
馬場山の交差点
馬場山交差点
 馬場山の交差点から211号線を外れる
馬場山交差点より211号線をはずれ、
一路茶屋の原団地を目指す。
 茶屋の原団地が見えてきた
正面に都市高速道路の高架が見えてきた。
あの高架を過ぎれば、いよいよ茶屋の原団地。
 茶屋の原団地メインストリートから新幹線側を見る
茶屋の原団地に到着。
団地入口側より4丁目方向を見る。
正面奥に見えているのは山陽新幹線の高架。
茶屋ノ原の文字
団地入口の地図には「茶屋ノ原」の文字が表記されていた。

4-1.現地名称「茶屋の原」と、文献に登場する「茶屋原」

文献には「黒崎〜茶屋原」として名称が示されているものの、団地の名称は「茶屋の原」または「茶屋ノ原」と表記されていました。
結果的に茶屋原とはこの区域の事を指しており、北九州モノレール黒崎線の終点の一つのパターンとして考えられていた事は間違いないようです。
「茶屋の原」および「茶屋原」の名称および表記の違いについては、後ほど現物として証拠が残っていましたので紹介します。
 
 茶屋の原メインストリート
茶屋の原団地のメインストリート
茶屋の原団地のメインストリート?を撮影。
周辺は団地という事もあり住宅街となっています。
このため画像は主に道路部分を撮影したものとなります。
茶屋の原団地が開地された時期を改めて調査する必要がありますが、おそらくこの区域に終点および車庫設備を設置する構想だったのではないでしょうか。 

さて、計画に示されている「(黒崎〜)茶屋原」について、「茶屋の原」または「茶屋ノ原」という名称は確認できても、「茶屋原」という単語がどこにも確認できません。
名称の違いはルート位置決定の曖昧さに直結するため、「茶屋原」という単語および名称の表記について是が非でも現地で確認する必要がありました。

「茶屋の原団地」北西側には山陽新幹線の高架線(小倉〜博多間)が設置されていますが、この山陽新幹線の開業が1972年の3月。
「都市交通審議会の答申」が示されたのが1971年3月の事(北九州モノレール小倉線、黒崎線および東西線等)であるため、上記に示した山陽新幹線の建設時期と若干重なります。
(北九州 黒崎-茶屋原モノレールの調査資料の日付は昭和47(1971)年1月31日/出典:日本モノレール協会20年のあゆみ)

上記した背景から茶屋の原団地北西部に位置する山陽新幹線の高架沿いについて、証拠を探す目的でしばらく散策する事としました。
茶屋の原団地と新幹線の境界線
茶屋の原団と山陽新幹線の境界
茶の野原団地と山陽新幹線の境界線部、写真の様に杭でその位置が記されています。

 
 新幹線の高架
山陽新幹線高架
(茶屋の原団地より見る)
 山陽新幹線高架下に設置された自動車および歩行者用トンネル。
写真奥手に進むと茶屋の原4丁目区域、トンネル反対側を右手に進むと馬場山方向となります。
トンネル周辺には何か歴史を示すような目立った掲示はありませんでした。

新幹線高架下に茶屋原の銘板が設置されていた
山陽新幹線高架
(茶屋の原団地4丁目側)
トンネルの反対側へ進みます。

ありました。「茶屋原」の単語が表記された標識(山陽新幹線高架)です。

今現在に至る間に名称が「茶屋の原」となったのか理由はわかりませんが、ここが確かに「茶屋原」という名称の区域であるという証拠がありました。
つまり、調査資料に示されている「茶屋原」という名称は、現在いるこの区域の事を指していると考えて間違い無いと言えます。
上述した様に当時この区域がどうなっていたのか改めて調べる必要がありそうですが、北九州モノレール黒崎線のAパターン(黒崎-茶屋原)の終着位置に無事到着しました。 
 茶屋原第3Bv
「茶屋原」を示す標識

5.木屋瀬・山浦


北九州モノレール黒崎線木屋瀬山浦付近を散策する

Aパターンの終点と位置付けられる「茶屋原」および茶屋の原団地を後にし一路211号線に戻ります。
211号線は北九州都市高速道路4号線および馬場山インターチェンジを越境する地点より200号線となります。
とはいいつつも黒崎駅から一連の流れとして200号および211号線となっているため、見た目上は何も変化がありません。

木屋瀬区域
200号を南下し木屋瀬を目指す。
写真は黒崎方向を撮影したもの。

馬場山インターチェンジ側を見る
左写真と同じく黒崎方向を撮影したもの。
200号線は写真奥の都市高速をクロスした地点から開始。
それより奥(黒崎側)は211号線となる。
 
馬場山インターチェンジを過ぎると下り坂が続く
木屋瀬・山浦方向を見る。
道路はこの地点では結構な下り勾配となっている。
200号線は直方へ続く
商業関連の建物やコンビニも多く立ち並ぶ。

200号線に入ってからはしばらく下り区間を進みます。
北九州モノレール黒崎線のルートはこの様に、全線を通して上り下りのアップダウンが続く路線となっています。
対して、北九州モノレール小倉線では、小倉駅を出て以降322号線を緩やかに上り続け終点に向かう路線となっており、両路線は対照的な地形を進む路線という事になります。

 北九州モノレール黒崎線木屋瀬から直方方向を見る
木屋瀬区域に到着
 北九州モノレール黒崎線木屋瀬および山浦付近を見る
左写真地点から黒崎方向を見る。
 
北九州高速鉄道黒崎線(北九州モノレール黒崎線)の計画の内、Bパターンの終点として位置付けられる「木屋瀬・山浦」。
200号線を外れた区域には、未だ田んぼも多く残っており、基地等の大きな用地を必要とする場合では、用地買収の点など有利な事も多かったのではないかと思います。


山浦のバス停
山浦のバス停
福岡・北九州圏内は西鉄バスが網羅しており、ここも例外ではない。

 山浦のバス停からはJR直方に行くことができる
このバス停から以南は、いずれもJR直方駅行きのバスのみ運行しているようだった。
北九州モノレール黒崎線の終点木屋瀬付近 写真の先に進むと、200号線はこの直後、直方市区域に突入します。
北九州高速鉄道(北九州モノレール)は北九州市の第三セクターという立ち居地であるため、このまま直方市区域に入る事は考えにくく、ここ「木屋瀬・山浦」が計画の最末端という事になると考えられます。
さらに200号線はこの先、40号線を介しながら道なりに進み続けJR筑豊本線の直方駅に突き当たり終点となります。

「円藤寿穂:都市交通とモノレール/鉄道ピクトリアル 1974年6月号 No.294 鉄道図書刊行会」にて示された北九州モノレールの路線計画図では、この200号線左手に車庫が示されています。写真の左手には、北九州市の所有する土地および市営住宅地が存在しており、この区域を車庫用地と位置づけ図中に示されたものと推定されます。  

ここまで小嶺地域を旅の起点として、北九州モノレール黒崎線の終点の可能性のあった「茶屋原」および「木屋瀬・山浦」地域を散策してきました。
いずれも、現在では住宅地や商業施設が立ち並び、200号線を中心とした開発が継続的に進んでいる事を確認しました。
同線は黒崎から直方中心部までを一直線につなぐ主要道路として、今日まで市民の生活になくてはならない導線として活躍しています。
仮に北九州モノレール黒崎線が建設および開業を果していたとしたら、上述した導線の役割のみならず、副都心黒崎と直方市域を巻き込む大動脈として、沿線全体が更に大きな町として発展を遂げていたかもしれません。


今回、「未成線・北九州モノレール黒崎線計画路線の終点を散策する」の現地取材および記事作成にあたっては、地元の多くの方々から情報提供をいただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。また当ページ内に表記および記載した情報は2017年現在のものとなります。-mjws編集


参考文献
[1]北九州都市モノレール小倉線 建設のあゆみ/北九州市都市計画局 1986.3
[2]日本モノレール協会 20年のあゆみ/日本モノレール協会
[3]新修・北九州市史 経済編/北九州市 H29.3.20
[4]日本の都市と路面交通/西村幸格 芸術出版社 2006.12.30
[5]鉄道ピクトリアル No.294 /鉄道図書刊行会 S49.6.1
[6]鉄道ピクトリアル 1974年6月号 No.294 円藤寿穂:都市交通とモノレール/鉄道図書刊行会
 

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