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工都北九州を支えた鉄の街(黒崎)に計画された北九州モノレール黒崎線構想
社名 路線名 |
第三セクター北九州高速鉄道 北九州モノレール 黒崎線(仮称) (または北九州モノレール 小嶺線) |
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開業年月日 | 北九州モノレール小倉線開業後状況を鑑みて順次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
営業距離 | 全長 11.5km(計画) 架線長 13.7km(車庫線含) |
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駅数 | 12駅程度 国鉄黒崎駅付近〜小嶺、香月〜木屋瀬(計画ルート終点) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルート (敷設地) |
計画名称・文献によって若干の差有り 以下に起点終点および出典元を併記 黒崎駅附近〜小嶺方面・木屋瀬(山浦) 11.5km(車庫線含13.7km)/ 出典:北九州市モノレール計画調査報告書(要約版) 北九州市企画局 S47年 1.主要都市モノレールの現状(小嶺線(仮称)および 2.北九州モノレール計画(案) より 黒崎〜茶屋原(現茶屋の原団地付近と推定)/ 出典:日本モノレール協会-業務委託納品 S47.1.31 日本モノレール協会 20年のあゆみ/日本モノレール協会 黒崎〜八幡小嶺 8.8km/ 出典:新修・北九州市史 経済編/北九州市 H29.3.20 黒崎〜木屋瀬/ 出典:日本の都市と路面交通/西村幸格 芸術出版社 2006.12.30 モノレール黒崎〜山浦 11.450km/ 出典:円藤寿穂「都市交通とモノレール」 鉄道ピクトリアル No.294 鉄道図書刊行会 S49.6.1 (北九州モノレール〈小倉線・小嶺線〉路線平面図 より) 関連記事 [未成線・北九州モノレール黒崎線・ルートの終点を散策する] |
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推定需要 |
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複・単線 | 複線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
モノレール方式 | 日本跨座式(日立ALWEG) (大型乙軸ボギー跨座型電動客車) =日立大型 |
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インフラ仕様 | 〈 〉内は小倉線数値 13.7km(車庫線含む)〈10.2km〉 軌道:PS 0.8×1.4(小倉線と同様) 最小曲線半径:60m 最急勾配:50‰ 支柱高標準:11m〈10m〉 支柱高最高:18m〈29m〉 最長スパン部:40m7箇所〈50m5箇所〉 変電所3箇所 車庫1箇所 転轍器 シーサス1基〈2基〉 2差3基〈3基〉 3差1基 転轍器(車庫) 3差5基〈4基〉 通信設備 有線電話 列車無線電話 400mHZ帯FMプレストーク式〈同〉 |
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運行 | 〈 〉内は小倉線数値 運転時分:19分40秒〈14分30秒〉 表定速度:35km 最高速度:80km 運行間隔: 朝ラッシュ時 4分〈4分〉 日中・夕方 10分〈10分〉 早朝・深夜 20分〈20分〉 運転所要列車:12列車〈10列車〉 |
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車両 | 〈 〉内は小倉線数値 編成:4両固定編成 両数:54両 車両長:62.4m 車両幅:2.85m 車両高:3.655m 動力:DC1500V 計画輸送力:14300人/時間〈16000〉 信号:チェックインチェックアウト列車検知 |
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1.北九州モノレール黒崎線 北九州高速鉄道(北九州モノレール)黒崎線は、北九州市の副都心黒崎駅付近より小嶺および香月地域を経由し、木屋瀬付近を終点として計画されたモノレール路線です。 全線の路線長はおよそ12kmとされました。 国内では初の日本跨座式モノレール(日立ALWEG)として、昭和60年に北九州モノレール小倉線が開業しました。 北九州モノレール黒崎線は、そんな小倉線と並ぶもう一つのモノレール路線として計画されていましたが、今日に至るまで日の目を見る事はありませんでした。
1-1.5市合併 昭和38年(1963年)2月10日、九州の最北部地域に100万都市北九州市が誕生しました。 北九州市は、商業の中心地として発展した小倉市、貿易港として発展した旧門司市、八幡製鉄所によって工業中心都市となった旧八幡市、八幡製鉄所戸畑製造所の設立で発展を遂げた旧戸畑市、石炭積出港として栄えた旧若松市からなる、計5市の大合併によって誕生しました。 同年4月1日には全国6番目の政令指定都市となっています。 (昭和49年4月には、小倉区は南北区に、八幡区は東西区にさらに区分けされています。) 100万都市となった北九州市は、市の進むべき方向を示す「長期総合計画」(基本計画)を昭和40年に策定します。 北九州市の公共交通網整備のマスタープランを示すものでした。 北九州市ではモータリゼーションが加速し、自動車交通の増加に伴う渋滞が深刻化しました。 公共交通機関である路面電車やバスはその機能を低下させており、都市機能の低下が著しく発生するようになっていました。 これらに変わる都市交通機関の整備がクローズアップされ、後のモノレール建設計画へと繋がっていきます。 新たな公共交通機関として挙がったモノレールでしたが、当時の関係法では都市交通機関としてモノレールを採用、準拠する法律、並びに行政的措置等の関係法令が存在せず、計画の実現にむけては課題が山積となっていました。 1-2.都市交通審議会の答申 昭和44年(1969年)2月3日に設置された都市交通審議会北部九州部会は、昭和44年3月24日、第1回部会を皮切りに計19回の審議、検討を行い答申案をまとめました。 昭和46年3月11日には都市交通審議会より運輸大臣に対し「福岡市及び北九州市を中心とする北部九州都市圏における旅客輸送力の整備増強に関する基本的計画について」の答申がなされました。 北九州市における高速鉄道路線網の必要性について指摘したものでした。 この答申に基づいて、昭和46年12月24日、地元関係機関を始め、学識経験者並びに団体役員の参画による「北九州都市圏交通対策協議会」が結成され、北九州市を中心とする都市圏における旅客輸送力の整備増強に関する基本的計画の具体化・実施の推進が議論されました。 この中で、 北九州モノレール徳力線計画案(昭和46年6月)や北九州モノレール路線計画案についても議論されました。 ・昭和46年3月11日の都市交通審議会答申第12号における、高速鉄道新設の基本計画の中で示された「小倉駅付近から、徳力、曽根方面に至る路線」について、モノレールを適用するものとして、経営収支計画までの概略設計を社団法人日本モノレール協会に委託し、まとめたものである。 ・北九州市モノレール路線計画案(昭和48年3月) 昭和46年3月の運輸経済研究センターの報告書の方針に基づき、大量高速交通機関としての高速鉄道(地下鉄及びモノレール)の路線計画と、これらの建設についてフィジカルな問題点を把握するため、1/2500スケールによる概略設計を行ったものである。[3] 北九州都市圏交通対策協議会では更に独自の調査を行い、「高速交通機関の路線、建設順位と時期、採用方式と機種」を決定しました(昭和47年12月)。 昭和49年8月「運輸政策審議会への報告」としてまとめら、報告書では次のように述べられています。 既設の高速鉄道について、旅客の利便を確保するとともに、高速鉄道の積極的利用を促進するため、輸送需要の動向を勘案して旅客駅の新設及び連絡施設の整備を図る。 また、市街地における既設高速鉄道の高架又は地下化、踏切道の立体化等を積極的に推進する。 以上の諸措置を講じても、なお目標年次には輸送力の不足が生じると予想されるので、つぎの路線の新設が必要と思われる。 ア 小倉駅付近から徳力・曽根方面に至る路線 イ 黒崎駅付近から小嶺方面に至る路線 ウ 小倉駅付近と黒崎駅付近とを結ぶ路線 上記路線のうち、輸送力の不足が著しい路線については、昭和50年代の半ばまでに建設を必要とすると予想されるが、地域開発計画、住宅計画等の進捗状況との関連、高速道路の路線との調整などを十分考慮しつつ、具体的な建設時期、建設主体、採用すべき高速鉄道の方式、資金の調達方法等について、今後さらに検討を必要とする。
1-3.「都市モノレールの整備の促進に関する法律」施行 昭和47年11月に「都市モノレールの整備の促進に関する法律」が施行されました。 それまで採用および準拠する法律、行政的措置等の関係法令がなかった都市モノレールでしたが、この法律が施行された事で、一気に実現へ舵が切られて行くと事となります。 同年12月21日の第3回北九種都市圏交通対策協議会においては、基本路線と建設順位の方向づけがなされる事となり、昭和44年度にはじめられた総合都市交通体系調査の一環として、昭和48年度に国の補助を受けて都市モノレール計画調査が行われました。 本調査にあたっては、関係機関や協議会で決定した方向づけを尊重し、昭和47年度から行った北部九州圏第1回パーソントリップ調査から、現在及び将来にわたる都市交通問題の分析を行い、都市モノレールに伴う環境問題対策や経営主体のあり方についても、検討を加え都市計画決定にあたっての資料としました。 (都市モノレール計画調査、昭和49年3月) 1-4.路線計画の概要 昭和46年3月11日付の都市交通審議会答申第12号を受けて、昭和47年12月には、北九州都市圏交通対策協議会において高速鉄道計画が決定されました。 この時の高速鉄道計画の概要は以下のとおりとなっています。 この前年にあたる昭和46年12月1日には、北九州市より日本モノレール協会に対して「黒崎〜茶屋原モノレール建設計画調査」[4]が委託されており、昭和47年1月31日に完了しています。 この中で、小倉線は後の北九州モノレール小倉線として開業を果たしました。
黒崎線は小倉線の経営状況を勘案しつつ整備を進めるものとされましたが、開業後の小倉線の経営状況は芳しくなく、やがて路線計画は風化していく事となりました。 今日では北九州市民でも、北九州モノレール黒崎線の計画を知る人間は少なくなっています。 1-5.北九州モノレール黒崎線のルート(推定)と現在の様子
※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。予めご了承ください。 |
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参考文献 [1]都市交通の現状と都市モノレール計画/北九州市建設局 S50年3月 [2]北九州都市モノレール計画調査報告書(要約版)/北九州市企画局S47年 [3]北九州都市モノレール小倉線 建設のあゆみ/北九州市都市計画局 1986.3 [4]日本モノレール協会 20年のあゆみ/日本モノレール協会 [5]新修・北九州市史 経済編/北九州市 H29.3.20 [6]日本の都市と路面交通/西村幸格 芸術出版社 2006.12.30 [7]鉄道ピクトリアル No.294 /鉄道図書刊行会 S49.6.1 [8]鉄道ピクトリアル 1974年6月号 No.294 円藤寿穂:都市交通とモノレール/鉄道図書刊行会 ・都市モノレール等交通需要推計に関する調査報告書 モノレール No.62:1987/(日本モノレール協会機関紙)/日本モノレール協会 ・開業6年目を迎えた北九州モノレール -北九州高速鉄道(株) 永野業務部長 モノレール No.73:1991/(日本モノレール協会機関紙)/日本モノレール協会 |
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