モノレール国内編 小田急モノレール
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さよなら向ヶ丘遊園モノレール見学会の様子 2001年

さよなら向ヶ丘遊園モノレール デハ500形

小田急電鉄向ヶ丘遊園線(小田急モノレール)
2001年3月24日・「さよなら向ヶ丘遊園モノレール見学会」の様子

資料ご提供:7N4RBN様

Closed monorail line
-Odakyu Mukogaoka-Yuen Monorail line-[1966-2001]

  1966年4月23日、小田急向ヶ丘遊園線(小田急モノレール)は国内初のロッキード式モノレール路線として開業しました。
 小田急モノレールは向ヶ丘遊園正門と小田急向ヶ丘遊園駅の1.1kmを結ぶ短距離モノレール路線として、同遊園地までの乗客を運ぶ役目を担っていました。
しかし2000年の定期点検の際、台車に亀裂が見つかり運行休止を余儀なくされ、翌2001年2月1日に正式に廃止となってしまいました。

この廃止を持って、モノレール開発黎明期の主役の一つを担ったロッキード式モノレールは、世界からその姿を消すこととなりました。
上述した理由から、最終の記念運行こそ実施されませんでしたが、廃止後の翌月(2001年3月24日(土)・25日(日))に「さよなら展示会」が開催されました。

今回、7N4RBN様のお申し出とご好意により、「さよなら向ヶ丘遊園モノレール見学会」当時の画像を提供していただける運びとなりました。
この場をお借りして深くお礼申し上げます。

モノレール向ヶ丘遊園駅
小田急向ヶ丘遊園駅
「さよなら向ヶ丘遊園モノレール見学会」は、反対の正門駅で開催されます。
小田急向ヶ丘遊園駅にモノレール車両が到着する事はこの後二度とありませんでした。

向ヶ丘遊園モノレールの廃線跡
小田急向ヶ丘遊園駅と次駅の向ヶ丘遊園正門駅との距離は1.1km。
廃線跡の様子見を含め、会場へは徒歩で向かわれる方が多かったのではないかと思われます。
現在は軌道支柱共に全て撤去されています。
さよなら向ヶ丘遊園モノレール見学会時の正門駅
「さよなら向ヶ丘遊園モノレール見学会」の会場となった向ヶ丘遊園正門駅
見学会自体は2001年3月24日〜25日の2日間で開催されました。
当ページに掲載される画像は、いずれも24日撮影のものとなっています。
さよなら向ヶ丘遊園モノレールマークを付けた車両 
向ヶ丘遊園モノレール線
小田急電鉄 デハ500形
「さよならモノレール」記念マークが設置されています。

デハ500形は、元は川崎航空機岐阜製作所内に設けられた試験線で使用されていた車両。
岐阜試験線は全長およそ1kmのテストコースで半径34mの急カーブも設けられていました。
デハ500形は同工場にて片側に扉を増設し、小田急電鉄に納入されました。
 正門駅ホームに停車するモノレール車両
向ヶ丘遊園正門駅
ホーム位置に据え置かれるデハ500形
なんだか寂しそう・・・?
 さよなら向ヶ丘遊園モノレール見学会が行われた正門駅
向ヶ丘遊園正門駅
見学会時のホームの様子
 向ヶ丘遊園モノレール車両側面
向ヶ丘遊園正門駅ホーム
デハ500形の側面に取り付けられた行き先銘板
運行は向ヶ丘遊園駅と向ヶ丘正門駅間の2駅間でした。
さよなら向ヶ丘遊園モノレール見学会の様子
小田急デハ500形 1962年製造
岐阜試験線で改修工事を受け、1965年から小田急へ納入されました。

ロッキード式モノレールは、アメリカの航空機メーカーロッキード社が考案したモノレール。
長距離を高速走行し、かつ大量輸送を実現出来るシステムとして構想されました。
ゴムタイヤ方式の欠点を除くため、鋼製車輪と鋼製軌条を用いるという従来に無い発想のもと誕生しました。

鋼製車輪と鋼製軌条を用いる利点は主に以下項目が挙げられます。
・走行抵抗低減
・高速時におけるタイヤ過熱の解消
・天候の差異による粘着係数の変化量減少
・車輪経を小さく出来るため床面をフラットに設定可能 等


向ヶ丘遊園モノレール車内
ロッキード式モノレールデハ500形の車内
モノレール車内
ロッキード式モノレールデハ500形の車内
ロッキード式モノレールは、当時モノレール開発黎明期の中にあって、唯一フラットな床面を提供したモノレールシステムでした。
他のモノレールシステムは、車両と車両の間に台車を配する連接構造を採用。
この事によってタイヤハウスの出っ張りを乗客スペースから遠ざける形でこの課題に対処していました。
当時、ロッキード式モノレールはそれだけ画期的な構造を採用していたと言えます。

現在フラット床面を基本としている日立製作所の日本跨座式の登場は、後の万博モノレールの営業まで待つ事となります。
万博モノレールの登場は、大阪万博が開催された1970年。
この8年前には、既にロッキード式モノレールは存在し、さらに4年前の時点で営業線に投入される事となりました。
他でもないこの向ヶ丘遊園線での事です。
モノレール社内の座席
デハ500形車内の様子(座席)
向ヶ丘遊園モノレール車両運転台
運転台(デハ501形)
川崎航空機の銘板
川崎航空機の銘板
航空機メーカーとモノレールシステムの融合を示めす貴重な一枚。
モノレール501形を示めす銘板
デハ501形銘板
 向ヶ丘遊園モノレール社内のファンデリア
車内天井部とファンデリア
当時冷房装置は装備されておらず、送風はこのファンデリアが担っていました。
デハ500形側面 
 デハ502形モノレールの運転台
運転台(デハ502形)

ロッキード式モノレールのデモ車両として製造されたデハ500形は貫通路を設けませんでした。
このため運転台が車両中央に配置されています。

対して、後に本格的な営業用仕様として登場した姫路市営モノレール用の100および200形は貫通路を設けました。
これに合わせ運転台も片寄配置となっています。
 正門駅の様子  ロッキード式モノレールの車止め
今では見る事が出来なくなってしまったロッキード式モノレールの車止め。
 向ヶ丘遊園モノレールの軌道桁
ロッキード式モノレールの軌道桁。
 今は亡き向ヶ丘遊園モノレール線
小田急向ヶ丘遊園線(小田急モノレール)が廃止された翌年、
入園客の減少もあって向ヶ丘遊園自体も閉園となりました。

当ページ内の画像は、提供者了解の元一部加工を行っています。該当箇所は以下の通り。
・肖像権に関与する箇所 ・画像の著作権の表記
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