モノレールジャパンインデックスページ※新しいウィンドウが開きます。       熱海モノレールPC用

  Monorails of Japan website > モノレール国内編 >モノレール計画路線(解消・未成線)【昭和40年〜60年頃】
日本のモノレール 熱海モノレール

仙台市モノレール計画(1969)

-仙台市営モノレール計画の原点、仙台市モノレール計画-

出典:中西敏博,仙台市モノレール計画試案
モノレール No.15(協会機関紙)/日本モノレール協会 1970.1

インデックスページへ
※新しいウィンドウが開きます。
 
Welcome to mjws!The index page is here. 
 
 
社名 仙台市
開業年月日 昭和50年開設(試案)
営業距離 南北線 12km
東西線 10km
駅数 南北線 13駅(管理駅3駅)
当愛線 11駅(管理駅3駅)
表定速度 南北線 29.2km/h
東西線 29.2km/h
列車運転間隔 南北線 3分
東西線 4分
モノレール方式 社団法人日本モノレール協会が運輸省の委託を受けて研究、報告した
「日本跨座型モノレール」または「サフェージュ式懸垂型モノレール」
車両 大型車2車両連結または
大型車4両連結
所要車両数 南北線 34両
東西線 22両


1.仙台市モノレール計画(1969)

「仙台市モノレール計画」とは、かつて仙台市によって計画されたモノレールの計画路線。
この計画はその線形や形を変えつつ、最終的にそのルートの一部を仙台市地下鉄東西線として開業(2015年)する事になります。しかし、それはまだ随分と後の話。
当ページで紹介する仙台市モノレール計画とは、1960年代に計画が試案された初期段階の仙台市モノレール構想。

当時仙台市では「仙台市交通計画委員会」を設置し、仙台市の交通計画の検討が行われていました。
委員会では、仙台市の高速交通機関として地下鉄を採用するべきか、モノレールを採用するべきかが課題となり日本モノレール協会へ資料提供を打診。
これに協会が答える形で、協会としての具体的試案が策定されました。

2.背景

人口の都市集中と都市街路の自動車交通量の増加が顕著となっていた当時、仙台市においても例外ではありませんでした。
仙台市の人口は昭和30年代に入り急激な増加傾向となり、昭和40年には人口48万人を数える程になっていました。
仙台市の主要な街路は飽和状態となり、は昭和60年に主要街路の大部分が200%を超えることも試算されていました。
道路計画の実施のみならず、抜本的な都市交通対策が急務となっていました。

3.日本モノレール協会とルート選定

日本モノレール協会では上述した様に具体的試案を策定。
特に乗客数の多い地区と市中心部を結ぶ路線を計画し、原則として仙台市の都市計画道路のうち幅員22m以上の線形によるルートを示しました。
計画は一次計画と二次計画に分かれ、一次計画は昭和50年に完成および運営開始、二次計画は乗客需要の状況を見て昭和55年以降での完成および運営開始とするものでした。

路線 ルートおよび延長
(1)仙石線乗入地下鉄(国鉄) 一次計画
仙台駅〜東北大 延長2.0km
(2)南北線 一次計画
西多賀〜仙台駅〜通町 延長12km
二次計画
西多賀と通町を結ぶとともに東北大終点で地下鉄と交叉連絡する。 延長6km
(3)東西線 一次計画
岩切〜仙台駅〜北六 延長10km

仙台市モノレール計画
仙台モノレール計画概要
南北線および東西線ルート
参考: 中西敏博,仙台市モノレール計画試案
モノレール No.15(協会機関紙)/日本モノレール協会 1970.1

【参考文献】
中西敏博,仙台市モノレール計画試案
モノレール No.15(協会機関紙)/日本モノレール協会 1970.1
都市モノレール建設促進議員懇談会の活動のまとめ
モノレール No.16(協会機関紙)/日本モノレール協会 1970.6
社団法人日本モノレール協会20年のあゆみ/日本モノレール協会
鉄道ピクトリアル 昭和45(1790)年4月号 No.236 特集:日本のモノレール/鉄道図書刊行会
鉄道ピクトリアル 1988年12月号 No.504 特集:モノレール/鉄道図書刊行会



モノレール 国内編へ

サイトトップへ戻る

モノレールの未成線 熱海モノレールPC用