Monorails of Japan website > モノレール国内編 >モノレール計画路線(解消・未成線)【昭和40年〜60年頃】
-モノレール西環状路線、環5モノレール-
東京都市圏を環状で繋ぐ大規模モノレール路線計画、東京環状モノレール
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社名 | 東京都(東京都交通局) ・東京環状モノレール(仮称) |
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開業年月日 | 1974年(事実上の廃案) 未成線 |
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営業距離 | 35km(日本モノレール協会案) 35.8km(東京都案) |
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駅数 | 36駅(日本モノレール協会案) 37駅(東京都案) |
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表定速度 | 30km/h | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
列車運転間隔 | 4分(日本モノレール協会案) 5分(東京都案) |
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複・単線 | 複線(熱海駅は単線) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
モノレール方式 | 日立アルウェーグ式 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
車両 | 中型4両編成(日本モノレール協会案) 大型4両編成(東京都案) |
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所要車両数 | 132両 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1.東京環状モノレール線(環5)
2.背景東京都は、当時既に路面電車とトロリーバスの撤去を勧めており、昭和47年までに全廃を計画、さらにこれらの代替として、地下鉄およびバスへの転換を方針として示していました。しかしながら、地下鉄は、当時既に開通している路線および建設中のものを含め放射線状に展開するものがほとんどでした。 唯一、12号線は環状路線として構想されていたものの具体的な計画は存在せず、さらに交通需要の点から見て地下鉄として整備する事には無理があると捉えられていました。 地下鉄で代替されないルートは、何らかの別の交通機関の建設が必要とされ、モノレール協会としてもモノレールによる敷設を提案する事となります。 2-1.日本モノレール協会都市交通審議会によって行われた中間答申(昭和43年(1968年)4月11日)で、地下鉄12号線について「新宿方面より春日町、上野、深川および月島の各方面を経て麻布方面に至る路線。なお、本路線は環状線とすることも考えられるので、経路の一部については、将来再検討することとする」と答申されました。これを受けて日本モノレール協会は「東京環状モノレール計画案」を作成。 このルートの交通需要は業務交通が主で通勤通学交通は従と考えられ、交通量も中程度見込み得るにすぎない。つまり、採算の上で地下鉄にすることには無理がある事から、モノレール協会ではこの路線を「モノレール西環状路線」として提案する事としました。 提案書は運輸省に報告された後、美濃部都知事へ上げられ、東京都として東京環状モノレールの検討が具体的に進められて行く事へと繋がっていきます。 昭和44年(1969年)9月、東京都は首都整備局に「モノレールに関する調査研究会」を設置。 昭和45年(1970年)12月21日、東京都の「モノレールに関する調査研究会」は、当時の美濃部知事に対し中間報告書を提出。 「環状モノレール線」に関する調査結果の概要を以下に示します。 |
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「環状モノレール線」に関する調査結果の概要
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3.計画の終焉1974年4月「モノレールに関する調査研究会」が美濃部知事に東京環状モノレールの最終報告「モノレール開発計画報告書」を提出。しかしながら、東京環状モノレール計画はこの時既に消滅の道を進み出していました。 東京環状モノレールとルートの一部を重複する都電、現在の都営荒川線の存続が検討されだしたのです。その事項は直ぐに現実となりました。 1974年9月、都議会で都電の存続が決定されます(三ノ輪〜王子〜早稲田間)。 上述した様に、都電と主要ルートを重複する「モノレール西環状路線」、「東京環状(環5)モノレール」はこの時点で事実上の廃案となってしまいました。 |
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【参考文献】 〈公営〉東京環状モノレール計画試案 モノレール No.13(協会機関紙) /日本モノレール協会 1969.1 モノレール No.15(協会機関紙)/日本モノレール協会 1970.1 モノレール No.18(協会機関紙)/日本モノレール協会 1971.6 社団法人日本モノレール協会20年のあゆみ/日本モノレール協会 鉄道ピクトリアル 昭和45(1790)年4月号 No.236 特集:日本のモノレール/鉄道図書刊行会 鉄道ピクトリアル 1988年12月号 No.504 特集:モノレール/鉄道図書刊行会 |
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