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-Kitakyushu Monorail-
Straddle-beam monorail (ALWEG) system , Hitachi
北九州モノレール ラッピング車両一覧 wrapping monorail |
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1.北九州モノレール北九州高速鉄道小倉線(北九州モノレール)は、北九州市の中心街小倉北区とベッドタウン小倉南区とを結ぶモノレール路線です。小倉駅〜終点企救丘駅までの所要時間は19分。 国内では日本跨座式(日立ALWEG)の第1号路線として建設されました。 1972年「都市モノレールの整備の促進に関する法律(都市モノレール法)」が公布され、「都市モノレール建設のための道路整備に対する補助制度」 の適用受けた第一号路線となりました。 [単語帳:都市モノレールの整備の促進に関する法律](ポップアップリンク) S47年、北九州都市圏交通対策協議会では路線、建設順位、時期および採用方式(機種選定)」が検討され、小倉線および黒崎線では跨座式モノレールの採用が決定されました。 初期の計画においては、小倉線の他に黒崎線(国鉄黒崎駅付近〜小峰)、東西線(小倉〜黒崎間)が計画されていました。(うち東西線は二条鉄道による計画) 当時渋滞問題の解消と北方線(路面電車)(1980年廃止)の代替という点から、小倉線が優先的に建設される事となりました。 今日では白紙となっている黒崎線については、小倉線開業後の経営状態をみて整備の是非を検討する事となりました。 その後小倉線は、JR小倉駅への乗り入れを果たす(H10年)まで経営状況が良好ではなかったため、やがて黒崎線は過去の計画となってしまいます。
1-1.北九州市昭和38年(1963年)2月10日、九州の最北部地域に100万都市北九州市が誕生しました。北九州市は、先の大戦時では軍都、そして同市の商業の中心地として発展した小倉市、国際貿易港として発展した旧門司市、八幡製鉄所およびその関連企業によって工業中心都市として繁栄した旧八幡市、八幡製鉄所戸畑製造所の設立で急速な成長を遂げた旧戸畑市、筑豊炭鉱の石炭積出し港として栄えた旧若松市からなる、計5市の大合併によって誕生し、同年4月1日に全国6番目の政令指定都市となりました。 更に、後の昭和49年4月には、行政水準のバランスを調整するため、小倉区は南北区に、八幡区は東西区に分割されています。 100万都市となった北九州市は、市の進むべき方向を示す「長期総合計画」(基本計画)を昭和40年に策定します。 これまで産業基盤として扱われていた鉄道を代表とする交通網について、生活基盤としての公共交通網として整備するというものでした。 北九州市では同時期にモータリゼーションが進んだ事で、自動車交通の増加に伴う渋滞が深刻化します。 公共交通機関である路面電車やバスは表定速度低下が顕著となり、これらに変わる都市交通機関の整備がクローズアップされていきました。 当初、計画された高速鉄道網は、高速鉄道、またはモノレールを市街地では地下に、郊外では高架として整備し、旧五市のコミュニティーセンターとし新規開発地区を横8の字型で結ぶ環状ルートでした。 このとき、はじめてモノレールが都市交通機関としてとりあげられたものの、当時の関係法では都市交通機関としてモノレールを採用、準拠する法律、並びに行政的措置等の関係法令が存在せず、計画の実現にむけては課題が山積となっていました。 1-2.都市交通審議会の答申(モノレール路線計画)昭和44年(1969年)2月3日、運輸大臣は「福岡市及び北九州市を中心とする北部九州都市圏における旅客輸送力の整備増強に関する基本計画の検討について」を、都市交通審議会に設置しました(北部九州部会)。都市交通審議会北部九州部会は、昭和44年3月24日、第1回部会を開催後、昭和46年2月24日まで7回、小委員会を5回、さらに小委員会に専門部会を設けて7回、計19回の審議、検討を行い答申案をまとめました。 昭和46年3月11日、都市交通審議会より運輸大臣に対し「福岡市及び北九州市を中心とする北部九州都市圏における旅客輸送力の整備増強に関する基本的計画について」の答申がなされました。 この中で北九州市に高速鉄道路線網の必要性が指摘されています。 この答申に基づいて、昭和46年12月24日、地元関係機関を始め、学識経験者並びに団体役員の参画による「北九州都市圏交通対策協議会」が結成され、北九州市を中心とする都市圏における旅客輸送力の整備増強に関する基本的計画の具体化・実施の推進が議論されました。 @ 北九州交通計画に関する調査(昭和46年3月) 北九州のフレームワークや土地利用計画に基づいて、将来の交通需要を推計し、それに対応すべき大量輸送機関として、高速鉄道とモノレールを組み合わせた3案の比較案の作成ならびに、その評価を財団法人運輸経済研究センターにお願いしたものである。 A 北九州モノレール徳力線計画案(昭和46年6月) 昭和46年3月11日の都市交通審議会答申第12号における、高速鉄道新設の基本計画の中で示された「小倉駅付近から、徳力、曽根方面に至る路線」について、モノレールを適用するものとして、経営収支計画までの概略設計を社団法人日本モノレール協会に委託し、まとめたものである。 B 北九州市モノレール路線計画案(昭和48年3月) 昭和46年3月の運輸経済研究センターの報告書の方針に基づき、大量高速交通機関としての高速鉄道(地下鉄及びモノレール)の路線計画と、これらの建設についてフィジカルな問題点を把握するため、1/2500スケールによる概略設計を行ったものである。 これらの調査結果に加え、北九州都市圏交通対策協議会が独自の調査を行い、昭和47年12月に「高速交通機関の路線、建設順位と時期、採用方式と機種」を決定しました。 更に、昭和48年3月には、建設主体と経営主体について、方向付けを行いました。 昭和49年8月「運輸政策審議会への報告」としてまとめら、報告書では次のように述べられています。 既設の高速鉄道について、旅客の利便を確保するとともに、高速鉄道の積極的利用を促進するため、輸送需要の動向を勘案して旅客駅の新設及び連絡施設の整備を図る。 また、市街地における既設高速鉄道の高架又は地下化、踏切道の立体化等を積極的に推進する。 以上の諸措置を講じても、なお目標年次には輸送力の不足が生じると予想されるので、つぎの路線の新設が必要と思われる。 ア 小倉駅付近から徳力・曽根方面に至る路線 イ 黒崎駅付近から小嶺方面に至る路線 ウ 小倉駅付近と黒崎駅付近とを結ぶ路線 上記路線のうち、輸送力の不足が著しい路線については、昭和50年代の半ばまでに建設を必要とすると予想されるが、地域開発計画、住宅計画等の進捗状況との関連、高速道路の路線との調整などを十分考慮しつつ、具体的な建設時期、建設主体、採用すべき高速鉄道の方式、資金の調達方法等について、今後さらに検討を必要とする。
1-3.「都市モノレールの整備の促進に関する法律」施行昭和47年11月に「都市モノレールの整備の促進に関する法律」が施行され、さらに同年12月21日の第3回北九種都市圏交通対策協議会において、基本路線と建設順位の方向づけがなされる事となり、昭和44年度にはじめられた総合都市交通体系調査の一環として、昭和48年度に国の補助を受けて都市モノレール計画調査を行いました。本調査にあたっては、関係機関や協議会で決定した方向づけを尊重し、昭和47年度から行った北部九州圏第1回パーソントリップ調査から、現在及び将来にわたる都市交通問題の分析を行い、都市モノレールに伴う環境問題対策や経営主体のあり方についても、検討を加え都市計画決定にあたっての資料としました。 (都市モノレール計画調査、昭和49年3月) 1-4.路線計画の概要(小倉線、黒崎線および東西線)昭和46年3月11日付の都市交通審議会答申第12号を受けて、昭和47年12月には、北九州都市圏交通対策協議会において高速鉄道計画が決定されました。この時の高速鉄道計画の概要は以下のとおりとなっています。 なお、北九州モノレール黒崎線は北九州市建設局および企画局による詳細な計画資料が残されており、順位が先行していた北九州モノレール小倉線と同様の仕様によって設置が計画されていた事がわかる。 参考資料1:都市交通の現状と都市モノレール計画/北九州市建設局 S50年3月 参考資料2:北九州都市モノレール計画調査報告書(要約版)/北九州市企画局S47年
1-5.北九州高速鉄道設立(昭和51年7月)昭和51年7月、北九州市が52%の資本を出資し、第三セクター方式による北九州高速鉄道が設立されました。
昭和56年3月には志井車庫前(後の企救丘駅)〜志井駅聞1.1kmおよび車庫線の一部完成に伴って、量産先行車である01編成による各種試験が開始されました。 試験運転およびその項目としては、 1.加速性能 2.走行抵抗測定 3.騒音・振動測定 4.自動運転性能 5.信号の送受信レベル測定 6.誘導障害影響の試験調整 など多岐にわたっています。 合わせて、試験項目の終了後には乗員訓練が実施されました。 この量産先行車の試験結果を反映させ、量産車の製作が進められていきます。 北九州モノレールは、万博記念公園で用いられたモノレール車両を除いて、全国で初となる本格的な日本跨座式モノレールとして建設されました。 特に日本跨座式モノレールでは、それまでのアルウェーグ式モノレールより改善された点として輸送力増大が挙げられます。 @全軽合金製溶接構造による車体の軽量化A床面の平坦化による客室空間の増大B両開き側ドアーとロングシート配列の採用。 その後、1985年1月9日、小倉駅(現在の平和通)〜企救丘駅間が開業しました。
開業時期の写真は以下タグよりどうぞ。 1998年(平成10年)には、JR小倉駅ビルに乗り入れた事で、JR線との乗り換えの利便性が向上しました。 1985年(S60)1月9日 小倉(現・平和通)〜企救丘間開業 1998年(H10)4月1日 小倉〜平和通間延伸開業(それまでの小倉駅を平和通駅に改称) 2.アルウェーグ(ALWEG)式モノレール参考リンク [モノレールとは?]アルウェーグ(ALWEG)式"モノレール"とは、日本跨座式に至る以前のモノレールの原点ともいうべきモノレールシステムです。 国内におけるモノレールの主要路線、名鉄モノレール、東京モノレール、北九州(日本跨座式)、大阪(日本跨座式)、多摩(日本跨座式)、沖縄(日本跨座式)等は、全てこの方式から発展または派生したモノレールであると言えます。 アルウェーグ式モノレールは、それまでの二条鉄道とは大きく異なり、駆動にゴムタイヤを用いました。 スウェーデンのアクセルレナートウェナーグレン博士は第二次世界大戦後、モノレールの開発事業を展開します。 (「アルウェーグ (ALWEG)」とは、博士の名前の頭文字から取られています。) 彼は西ドイツのケルン市郊外「Fuehlingen」に、モノレールシステムの実験線を建設し、開発したモノレールシステムの試験を行いました。 これらのシステムは当時、かの有名なウォルトディズニーの目に留まり、1959年ウォルトディズニーとアルウェーグ開発は共同でディズニーランド内のモノレール路線を開業させました。 ディズニーランドにおけるモノレールシステムの成功後も、遊園内や博覧会用に次々と小規模な路線が建設されていきました。 1961年、イタリア トリノでの博覧会で運行、続いて1962年 シアトルの21世紀万博で運行。 日本国内へは日立製作所が技術導入し、1962年ラインパークモノレール線(日立)、1963年関東レースクラブモノレール(日立)、1964年東京モノレール(日立)へと本格的な営業路線建設へと繋がっていきました。 その後時が過ぎた1985年1月9日、アルウェーグ式モノレールより進化発展を遂げた日本跨座式モノレール、北九州高速鉄道(北九州モノレール)が開業する事になります。
3.日本跨座式モノレール1967年、日本国内での渋滞問題は悪化する一方で、より優れた輸送手段としてモノレールが研究対象となりました。時の運輸省(現国土交通省)は、日本モノレール協会に委託し「都市交通に適したモノレールの開発研究」を行います。 その結果、日本版ともいえるアルウェーグ(ALWEG)式モノレール、日本跨座式が誕生しました。 日本跨座式はアルウェーグ(ALWEG)式をベースとしながらも軌道桁を太く取り、2軸ボギー台車を採用しました。 国内導入時のアルウェーグ(ALWEG)式(犬山遊園線や東京モノレール等)に対し、走行倫直径を小さく、幅を広く持たせ床面高さを高くすることで、室内へのタイヤハウスの突き出しを無くしました。 その反面、重心高によって曲線通過速度が遅くなってしまうデメリット、トンネル建設の際のコストが大きくなってしまう等のデメリットも発生しました。
日本跨座式のデビューは日本万国博覧会(大阪万博)で、大阪万博会場内の移動路線として導入、環状運転されました。 その後、1985年には日本跨座式初の営業路線として、北九州高速鉄道小倉線へ導入されます。 (初期の計画では黒崎線、東西線、小倉線が挙げられていましたが、渋滞問題と北方線(路面電車)の代替という点から小倉線が優先的に計画され着工されました。) 以後日本国内ではアルウェーグ(ALWEG)式の跨座式を採用して開業した路線はすべてこの日本跨座式を採用しています。 [国内で活躍する日本跨座式モノレール]1984年 北九州高速鉄道 開業1990年 大阪高速鉄道 開業 1998年 多摩都市モノレール 開業 2001年 東京ディズニーランド舞浜リゾートライン 開業 2003年 沖縄都市モノレール 開業 また日立製作所(および日本政府)によって国外への展開も進んでいます。 特に中国重慶市に建設された重慶軌道交通3号線は、営業距離ギネスブックに登録されていた大阪モノレールを抜き、現在世界一の営業距離を有する日本跨座式モノレールとして活躍しています。 さらに近年では、アラブ首長国連邦ドバイのパームジュメイラ、韓国の大邸、シンガポールセントーサエキスプレス(小型タイプ)等相次いで新規路線が開業しています。 2016年に入ってからは、パナマ共和国パナマシティー(メトロ3号線)への導入もほぼ確実的となっており、さらなる発展が期待されます。 「モノレール大国」と言われていた日本ですが、海外展開が進む今日ではその称号も過去のものとなりつつあります ただし、多種多様なモノレール規格を世へ生み出し、実路線として運用した実績から、日本は「モノレール博物館」である事に違いありません。 [海外で活躍する日本跨座式モノレール]2005年 重慶軌道交通2号線 開業(中国)2009年 ジュメイラ・モノレール 開業 (アラブ首長国連邦ドバイ) 2011年 重慶軌道交通3号線 開業(中国) 2015年 大邸都市鉄道公社3号線 開業(韓国) |
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【参考文献】
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社名 | 北九州高速鉄道株式会社 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業年月日 | 1985年1月 小倉(現平和通)〜企救丘駅間 1998年4月 小倉〜平和通間(延伸開業) |
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営業距離 | 小倉線 8.8km | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅数 | 13駅 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
基地付属駅 | 企救丘駅 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
複・単線 | 複線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
モノレール 方式 |
跨座式 (日本跨座式) 日立製作所 大型(軌道寸法:850mm×1500mm) 図.モノレールの規格一覧 左段:海外マニュファクチャラー 右段:日本マニュファクチャラー |
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車両 | 日本跨座式(日立ALWEG) (大型乙軸ボギー跨座型電動客車) =日立大型 1000系01〜09、1000系10 期間限定で復活した、開業時塗装(ブルーライン)編成 2015.04 |
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北九州高速鉄道(北九州モノレール)は、2015年1月9日に開業30周年を迎えました。 企救丘〜小倉(現平和通) 8.4km 開業 昭和60年1月9日 小倉(現平和通)〜小倉 0.4km 延伸部分開業 平成10年4月1日 同北九州モノレールでは、開業30周年の取り組みとして各種イベントを企画しています。 実施期間:1年間 (平成27年1月7日〜平成28年1月8日(金)) 開業30周年記念乗車券も発売が開始されました。 北九州モノレール小倉駅東口 2015年1月9日〜3月31日 詳細は北九州モノレール オフィシャルサイトでご確認下さい。 http://www.kitakyushu-monorail.co.jp/ 小倉駅外壁面に掲載された記念ポスター(/北九州高速鉄道) 開業時塗装復刻 (ブルーライン) |
銀河鉄道999号(10編成)
平和通〜香春口三萩野間 2014/12 「グリーンカラー」
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