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モノレール国内編 東京モノレール


東京モノレール
-Tokyo Monorail-
Straddle-beam monorail (ALWEG) system , Hitachi

モノレール国内編東京モノレール
東京モノレール東京新橋延伸について
東京モノレールカラーリングリニューアル
東京モノレール10000形デビュー
東京モノレール昭和島車両基地
 東京モノレール10000形外観  東京モノレール800形
 

1.東京モノレール
 

1-1.東京オリンピック

1964年、日本では東京オリンピックが開催されました。東京オリンピックは、当時戦後復興を遂げつつあった日本の象徴的なイベントでした。当時東京周辺では、オリンピックの開催に合わせ東海道新幹線や首都高速道路等を代表とする交通機関の整備が急ピッチで進められた時期でもあり、東京モノレールも同様でした。東京モノレールは、日本国内外からの訪東京する羽田空港利用客の東京都心へのアクセスを目的として計画され、9月17日に開業しました。それは、東京オリンピック開会式(10月10日)のおよそ1か月前でした。

1-2.路線
東京モノレールは、モノレール浜松町駅〜羽田空港国際線、羽田空港第1ビル、羽田空港第2ビル駅に至る全線17.8kmの路線となっています。所要時間は最短19分で、ピーク時は最短約3分20秒間隔で運行されています。開業時は浜松町〜羽田空港間を結ぶノンストップエアポート路線として運行されていましたが、その後は中間駅が次々と開業し、空港利用者だけでなく沿線の通勤通学の足としても広く利用される様になりました。モノレール浜松町駅〜天王洲アイル駅間は、都心のビル群を縫うように走行、その後流通センター駅までは首都高速道路、京浜運河と併走する形を取ります。車両基地を有する昭和島駅は、快速運用のため2007年に待避線が設置されました。以降昭和島で普通列車を追い抜く快速種別が設定され、国内のモノレール路線では唯一の快速運転を行っています。

2.東京モノレールの始まり

2-1.アルウェーグ(ALWEG)式モノレール


 東京モノレールの初期型台車
アルウェーグ式モノレールの台車
(東京モノレール昭和島基地)
 

現在のモノレールの原点であるそのモノレールは、名をALWEG式といいました。スウェーデンの産業経営学者アクセルレナートウェナーグレン博士は第二次世界大戦後、モノレールの開発事業を展開します。この時、彼が開発した次世代の交通機関こそALWEG式モノレールでした。「アルウェーグ (ALWEG)」は、創設者である博士の名前の頭文字から取られています。彼は西ドイツのケルン市郊外「Fuehlingen」において、小型スケールのモノレール試験線を設けます。ここでのテスト車両は、速度160km/hを達成しました。このデータを基に、1957年7月、彼は実用スケールでのモノレールシステムを試験します。ALWEGによるモノレールシステムは当時、ディズニーランド内への移動設備を模索していたウォルトディズニーの目に留まりました。1958年、ウォルトディズニーとアルウェーグ開発は、共同でディズニーランド導入用のモノレールを試作しました。翌年の1959年には、5/8スケールでのディズニーランドモノレールが園内に開業しました。アルウェーグ開発はその後も、遊園内や博覧会用に小規模ながらモノレールを建設し続けます。同時期、日本では日立製作所がアルウェーグ社と技術提携、アルウェーグ式モノレールの国内導入を図っていました。

ALWEG式モノレールは、それまでの二条鉄道と根本的に異なった構造を有していました。駆動輪に鉄ではなくゴムタイヤを用いたこと、高架を前提としたシステムであった事です。起伏の多い日本国内への交通機関としては最適であると考えられました。

時を同じくした1961年、トリノで行われた博覧会において、デモ走行をしていたアルウェーグ式モノレールが視察中であった名古屋鉄道社長の目に留まりました。名古屋鉄道では当時、犬山自然公園における大規模な開発を計画していました。この自然公園の地形は起伏に富み、同地区と現在の名古屋鉄道犬山遊園駅間は丘で隔たれていたため、鉄道による輸送が困難とされました。施設自体も、拡張整備に伴い利用者が増加、輸送手段の配置に苦慮していました。名古屋鉄道は、アルウェーグ社より技術提携を受けた日立製作所とタッグを組み、1962年3月 日立ALWEG式-名古屋鉄道ラインパークモノレール線が開業しました。日本国内において、アルウェーグ式モノレール第一号が開業した瞬間でした。

 犬山モノレール
写真 モンキーパークモノレール線
MRM100形および200形
 犬山モノレールの台車部分
写真 モンキーパークモノレール線
MRM100形の台車

ラインパークモノレール線は、日本国内最初の地方鉄道法による実用モノレール路線として建設されました。そのため、それまで国内へのアルウェーグ式モノレールの導入実績がなかった日立製作所では、独自の建築基準を設定する必要がありました。建設における構造や基準も、従来の鉄道とは根本的に異なったものであったため、様々な議論の中建設が進められたのです。そしてこの時の基準は、後に建設される東京モノレールにも活かされました。

2-2.日本高架電鉄
1953年4月、帝国ホテル犬丸社長の元にアクセルレナートウェナーグレン博士より便りが届きます。アクセルレナートウェナーグレン博士は前年となる1952年、西ドイツのケルン郊外フューリンゲル市のアルウェーグコーポレーション研究所でアルウェーグ・バーンと呼ばれる軌道系交通システムの開発に成功していました。このアルウェーグ・バーンについて、日本の経済人へプレゼンテーションを行いたいというものでした。当時急速に増加する国内外からの観光客受け入れに最適なシステムとして、この提案は犬丸社長に受け入れられました。

1953年6月3日、運輸・車両関係技術者の中枢を帝国ホテルに招き、アルウェーグ・バーンの説明会が開催されました。解説はドイツ人技師の携行したスライド写真により行われ、参加者はいずれも強い感銘を受け、その後、関係技術者による独自の調査・検討が進められる事となりました。アクセルレナートウェナーグレン博士より、帝国ホテル犬丸社長の元に便りが届けられた2ヵ月後の事でした。

1960年6月、犬丸社長を発起人として、日立製作所および名古屋鉄道が参画する形で、現在の東京モノレール建設へと舵が切られました。この時、東京モノレールの前身となる「日本高架電鉄」が発足しました。

 1959年(S34年)8月 大和観光株式会社設立
 1960年(S35年)6月 日本高架電鉄株式会社に社名変更
 1961年(S36年)1月 跨座式モノレールによる路線免許申請
 1961年(S36年)12月 跨座式モノレールによる路線免許認可
 1963年(S38年)5月 起工式
 1964年(S39年)5月 東京モノレール株式会社へ社名変更
 1964年(S39年)9月 モノレール浜松町駅〜羽田駅(旧)間開業

3.東京モノレール開業

3-1.「1964」


 東京モノレール羽田線は、1964(S39)年9月17日に開業を果たしました。東京オリンピック開会式(10月10日)のおよそ1か月前でした。 竣工式は前日の9月16日10時から駅ビル1階において挙行され、施工側から日立制作所会長・同社長をはじめ建設各社社長が列席しました。 開通式は同日13時から3階コンコースにおいて来賓およそ500名に見守られながら挙行されました。14時40分、5階プラットフォームにおいて運輸大臣、国務大臣、そして犬丸社長によるテープカットが行われ、記念すべき第1号車は静かに発車しました。

 東京モノレール羽田線は、東京都心の浜松町および羽田空港の間(約13キロ)を15分で結びます。 開業に合わせて導入されたモノレール車両は、100、200、300および350形の4型式でした。 開業当時の100形シリーズは、走行用台車が1軸のいわゆる単車方式で、車体長も10m程度と短いものでした。 単車方式では曲線軌道走行時における摩擦が過大で、走行用タイヤの寿命が短かいというマイナス部分もありました。東京オリンピック閉幕後の利用客減少は著しく、「大井競馬場前駅」駅の設置や、運賃の引き下げによる利用客増対策が実施されました。その後1970年代に入ると、国内外線における旅客機の便数も増加し、比例して東京モノレールの利用客も増加しました。

3-2. 2軸ボギー車両の投入

 1969年(S44年)5月、オリジナルアルウェーグ式モノレールとしては初となる2軸ボギー車両が運用を開始しました。東京モノレール500形です。 ボギー台車化された事で車体長も15mと大型になり、大幅な乗車定員の向上が図られました。 また、ボギー台車化の利点と合わせて乗り心地の改善も図られました。 当時アルウェーグ式モノレールには2軸ボギー車は存在しておらず、500形は世界中のモノレール関係者の注目を集めました。 そしてなにより、中程度輸送システムとして捉えられていたモノレールが、二条鉄道並みの輸送力を確保した瞬間でもありました。52年6月には更に、新型(600型)2編成が導入されています。

 1975年(S49年)9月、モノレール輸送体制が限界に達するとの見方から、ついにその対応策として浜松町および中間3駅のホーム延伸工事が施工。従来60m列車までの対応であったのに対し、90m列車の運行が可能となりました。

 1967年代以降、日本国内におけるモノレールシステムの標準規格の一つとなった日本跨座式モノレールは、全て2軸ボギー台車を採用しています。日本跨座式モノレールのデビューは日本万国博覧会(大阪万博)で、大阪万博会場内の移動手段として導入、環状運転されました。1985年には日本跨座式モノレール初の営業路線として、北九州高速鉄道(北九州モノレール)小倉線が開業しました。
 開業時より導入された1000形の足回りは、この2軸ボギー台車が支えています。今日に至るまで、日本国内ではアルウェーグ(ALWEG)式の跨座式モノレールを採用して開業した路線はすべてこの日本跨座式を採用しています。

ゆいレール車内に展示される東京モノレールの台車
写真 東京モノレールの2軸ボギー台車
沖縄都市モノレール(ゆいレール展示室)にて展示
ゆいレール車内に展示される東京モノレールの台車走行輪
写真 東京モノレールの2軸ボギー台車
沖縄都市モノレール(ゆいレール展示室)にて展示

4.車両
4-1.100、200および350型
1964年(昭和39年)開業時、東京都モノレールを彩ったのは100型〜350型の営業車両。基本構成は、100型および200型の組み合わせによる3両固定編成と、200型〜350型の組み合わせによる6両固定編成の2種類。先頭用車両である100型と300型には通常仕様の運転台を、350型には3両編成で基地構内を移動するための簡易運転台を設けていた。200型はラインナップ中唯一運転台を持たない中間専用車両として運用された。100〜350型営業車両は、いずれも車体長が10m前後と、後に主力車両となっている2軸ボギー車(500形〜)よりも小型の車両となっていた。100〜350型車では500型車以降と台車構造が根本的に異なっている。2軸ボギー台車を採用した500形以降の営業車両と異なり、100型〜350型車では、車体にボルトで直接結合する小型軽量の一軸固定台車を使用、主電動機自体も現在では主流となっている台車固定式ではなく車体へ搭載していた。動力伝達は接続されたプロペラシャフトおよび直角カルダン2段減速機を介して、走行輪へ伝えられていた。主電動機は、3両あたり4台搭載、中間4台車を動力台車としていた。車体は、当時としては珍しいアルミ合金生押出型材の溶接構造を採用。室内配置としては、座席をクロスシートとしていた。100型車から350型車は、1964年から1979年の間、100型14両、200型11両、300型4両、350型4両が製造され、営業車両に投入された。
 東京モノレール100形
東京モノレール100型電車(鉄道博物館(大宮)展示)

水色、クリーム色およぼ青の3色カラーで登場した100形シリーズは、その後赤色、白色および灰色を基調とする後の東京モノレールのアイディンティティカラーへと変更された。車体はアルミ合金押出材を使用し、溶接組立されている。車体、枠組み、下枠、スカート等が一体的構造として組み上げられている。写真の100形は丸妻貫通型、兄弟形の300形は流線形状として製作された。中間車の200形および350形と合わせてこれら型式を100形シリーズと称する。

4-2.500形
 500形は、世界で初めてボギー台車構造を導入したモノレール車両であり、国内で都市交通機関の役割を果たす以後の都市型モノレールの基本形となった。開業時より運用していた100型から350型の後継車両として導入されたもので、2軸ボギー台車を導入し、車体長をこれまでの10mより15mへと大型化している。また編成を2両固定とし、これを1ユニットとして、2から最大3ユニットを連結して運用に供した。なお、2軸ボギー化に伴う台車等構造の変更によって、軌道にかかる荷重配分を再計算、軸重90.2キロニュートンという定数をこの時に定めた。車体は強度向上のため全鋼性溶接構造へと変更されたが、これに伴い後に錆害という課題が生じる事となった。この事から、600形以降の営業車両では100〜350型シリーズと同様に鋼体をアルミ合金生に戻している。台車装置は、2軸ボギー台車化に伴い走行輪及び水平輪の装着本数が増加したほか、100型〜350型では車体側に搭載していた主電動機や集電装置を台車側取付へと変更している。また、500形では付随台車をなくし全てを動力台車とした。500形は、1969年から1991年にかけて、13編成26量を運用した。

4-3.600形
 600形は、500形をベースとしつつ、更なる改善を図った営業車両。車体は鋼製を採用した500形より軽量化を課題とし、アルミ大型押出型材の溶接構造を採用した。500形と重連運転を行うため外径寸法を維持、前面縁にはFRP装飾が取り付けられており外観上のアクセントとなっている。600形からは、乗務員室をそれまでの半仕切り構造から完全仕切り構造へと改良が成され、運用上の安全対策が取られた。600形は、1978年〜1997年にかけて9編成18両が運用された。

4-4.700形
 700形は東京モノレールでは初の冷房車両となった。冷房装置を搭載しつつ定員の減少を最小限に抑えるため、車体の重量軽減を最大の課題とし、水平輪リムのアルミ化および主抵抗器改良による搭載数量減などの工夫が成された。1983年に実施された列車6両固定化に際して、重連の組み合わせを固定化し他車と連結される方の運転台が必要なくなった事によってこれを撤去。ことからこれを撤去して客室スペースに改造しメンテナンスの軽減を図った。700形は1982年〜1998年にかけて6編成11両を運用した。

4-4.800形
 800形は1985年に実施された編成の6両固定化に伴い新たに開発された中間専用車両。中間専用車両では通常運用時における運転台が必要ないことから、車庫内を単独で低速走行ための簡易運転台のみを備える。これまでの700形ではバス用の直流冷房装置を改造したものを分散配置および搭載していたが、800形では交流の屋根上集中式ユニットクーラーを新たに開発し搭載した。客室設備としては6両固定化実施の際にクロスシートを全てロングシート化、立席面積を拡張する事によって輸送力の強化を図っている。800形は1985年〜1998年にかけて4編成8両が運用された。
 東京モノレール800形
700・800形
 浜松町付近を行く東京モノレール800形
700・800形

4-5.1000形
 1000形は、従来までの営業車両とは異なり完全な6両固定編成として設計製造された車両で、これ以降の東京モノレールの基本構成となっている。全て電動車の6M構成となっている。主回路などは2両を1つのユニットとし、故障が発生したユニットの制御を解放することができる様になっている。台車構造は500形以降のものを基本とし2軸ボギー台車を採用、代車枠の強度向上のほか搭載機器にいくつかの改良が加えられた。ブレーキ装置は減速器の中間軸に直結させたディスクニライニングを作用させるキャリパー部を従来のダイヤフラム式から小型軽量の空油変換式に変更している。走行輪タイヤ内圧検知装置は、これまで方輪パンクなのか両輪パンクなのか区別できなかったが、1000形からは左右どちらかのタイヤがパンクしたのかが区別できるように改良された。主電動機は1台あたり2台、編成あたり24台を搭載し、出力を65kWから70kWへと強化、運動性能の向上が図られた。連結器は両先頭部に自動密着連結器、ユニット間にゴム緩衝器付き棒連結器、ユニット内には棒連結器を配置した。その他客室座席の配置変更、車体カラーリング変更、ワンマン運転化対応、快速運転導入対応、デッドマン機能の運転士異常時列車停止装置適合化、運転状況記録装置設置等の変更が成されている。後期納入車両ではSIV及び冷房装置の容量強化等の改良が行われている。1000形は1989年〜1996年まで計16編成96両が運用に就いている。現在導入が進められている10000形によって、今後順次更新が成されていく予定となっている。
 東京モノレール1000形
1000形
 浜松町付近を行く東京モノレール1000形
1000形
 昭和島車両基地内の1000形
昭和島車両基地に並ぶ1000形
昭和島車両基地内のモノレール車両1000形
昭和島車両基地に並ぶ1000形1000形

4-6.新型車両10000形導入
東京モノレールは1964年9月17日に開業50周年を迎えました。
近年では羽田空港の国際化の流れが進み、同社路線は日本の玄関口にあたるといっても過言ではありません。
このため、日本の玄関としてふさわしい車両として10000形が新たに開発されました。
10000形は、軽量かつリサイクル性に優れたアルミ合金を採用し、溶接にはFSW(摩擦撹拌接合)を用いることで溶接によるゆがみが極めて少ない構造となっています。
基本構造としては、シングルスキンとダブルスキンを併用したハイブリッド式が採用されました。
その外観から目を引くエクステリアデザインは、車両前面についてはモノレール車両では初となる車幅灯を設置しており、青色LEDが未来的なイメージを演出しています。
また、車両側面には「空・海・緑」をイメージしたグラデーションフィルムを配しています。
側面に配置された行先表示器は従来のものから変更され、フルカラー表示となりました。
 東京モノレール新型車両10000形  モノレール車両10000形の側面

【参考文献】
  社団法人日本モノレール協会20年のあゆみ
/日本モノレール協会
日立運輸東京モノレール社史
/日立運輸東京モノレール株式会社社史編集委員会
東京モノレール羽田新線工事誌(整備場〜羽田空港間)
鉄道ピクトリアル 1988年12月号 No.504 モノレール
/鉄道図書刊行会
鉄道ピクトリアル 昭和45(1790)年4月号 No.236 特集:日本のモノレール
/鉄道図書刊行会
東京モノレールのすべて 東京モノレール開業50周年記念企画
/戎光祥出版株式会社
Theモノレール(別冊ベストカー)
/講談社 2004.7.1
モノレールをゆく
/イカロス出版 2014.9.17
モノレールと新交通システム
/グランプリ出版 2004.12.1
モノレール
/オーム社
羽田線モノレールカー/永弘太郎,斎藤節夫
/日立評論昭和40年4月
羽田線モノレールカー通信設備/奥野裕,大塚芳男,内藤達郎
/日立評論昭和40年4月
羽田線モノレール信号保安設備/後藤隆雄,仲出川義夫,岩本小三郎
/日立評論昭和40年4月
羽田線モノレールカー電気品/神谷清,上原守
/日立評論昭和40年4月
羽田線モノレールカー電力設備/服部昭治,加藤義明
/日立評論昭和40年4月
羽田線モノレール軌道けた/丹下正徳,松川安宏,渡辺史郎,白根重男
/日立評論昭和40年4月
モノレールカーの自動運転(ATO)/刈谷志津郎,高岡征
/日立評論昭和40年4月
日立-アルウェーグモノレール転てつ機/永弘太郎,別府忠
/日立評論昭和40年4月
東京モノレール10000形車両の開発/山口拓馬,西野享,植木直治,平野修司
/日立評論2014.09
モノレールと浜松町駅-千葉大学 清水名誉教授-
モノレール No.71:1990/(日本モノレール協会機関紙)/日本モノレール協会
東京モノレール天王洲地区新駅設置
-東京モノレール株式会社 村上取締役
モノレール No.74:1991/(日本モノレール協会機関紙)/日本モノレール協会
東京モノレール羽田線新線工事誌(整備場〜羽田空港間)/日本鉄道建設公団東京支社 東京モノレール株式会社
 
社名 東京モノレール株式会社
開業年月日 昭和39年9月
営業距離 17km (羽田線)
区間 浜松町〜羽田空港第二ターミナルビル (羽田線)
駅数 9駅
基地付属駅 昭和島駅
複・単線 複線
モノレール方式 跨座式 (日立アルウェーグ式)
日立製作所 中型(軌道寸法:800mm×1400mm)
モノレールの軌道サイズ一覧
図.モノレールの規格一覧
左段:海外マニュファクチャラー
右段:日本マニュファクチャラー
車両
東京モノレール10000形の背面
10000形
モノレール10000形
10000形
(浜松町〜流通センター駅間)
 
 モノレール1000形
1000形
 東京モノレール1000形
1000形
(カラーリングリニューアル後)
 東京モノレール2000形
2000形
 東京モノレール2000形
2000形
(カラーリングリニューアル後)

   

 路線
 東京モノレール路線図

 
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その他東京モノレールに関する写真集

東京モノレールはHKTがオフィシャルサポーターを勤める東京モノレールのマスコットキャラクターものるん



2000形(国際線駅付近)

ちさんホテルより撮影した東京モノレール東京モノレールの側面写真
東京モノレールを始めて見に行く人にはおすすめなち○んホテル、
モノレール側はお客の視線があるため不人気なのだとか…。間近で撮れます、が 逆にお客さんに観察されます。

東京モノレール昭和島車両基地配置図 東京モノレール昭和島車両基地内の1000形




 
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