跨座型モノレール-ロッキード式モノレール
3.日本ロッキード式モノレール 日本ロッキード式と称されたこのモノレールは、営業路線としてはこの世に現存していません。 アメリカのロッキード社の名を取るこのモノレール方式は、日本国内において川崎重工の手によって製造、向ヶ丘遊園および姫路市に導入されました。
3-1.日本ロッキード・モノレール社(1962年) 1962年12月、川崎航空機工業、川崎車輌等を主体とする日本法人「日本ロッキード・モノレール社(Niho Lockheed Monorail Co.)」が設立されました。 California Division of Lockheed Monorail Co.によって発案された、これまでにない発想のモノレールシステム(軌道系交通機関)の試験および研究を行うための物でした。 同社が開発を進めたモノレールシステムはその後「ロッキード式モノレール」と呼称される様になります。 走行方式としては、軌道桁上面に設置された鉄製50T軌条(旧新幹線規格)を走行および案内軌道とし、軌道桁の両側面下部に設けられた安定軌道を挟み込み走行するものでした。 走行輪には直径610mmの弾性車輪を、安定車輪には直径520mmの弾性車輪を用いており、いわゆる(二条)鉄道のモノレール版と言える構造を有しました。
この弾性車輪を用いた事で、車内の床面をフラットにする事が容易となりました。 当時アルウェーグ式モノレールで室内容量減の課題を与えたタイヤハウスの突起は、ロッキード式モノレールではほとんど問題とならなかったと考えられます。 同モノレールシステムの開発は、川崎航空機岐阜工場内に設けられた実験線により行われました。 実験線は、最急勾配60‰、最小曲線半径34mを持つ試験本線791mおよび分岐器を介した検修線62mで構成されました。 同線で行われた試験において、当時の試験車両(標準Ⅰ形)は実験最高速度83km/hを記録しています。 この時使用された試験車両が、後に小田急向ヶ丘遊園線で活躍する500形(501、502)へ払い下げられました。 航空機メーカーの冠を持つだけあり、当時鉄道車体への導入は珍しかったアルミ材を用い製造が行われました。 最大ベースではあるものの、標準Ⅰ形と呼称される試験車両のスペックは驚異的な数字を示しています。 標準Ⅰ形最大スペック(後に向ヶ丘遊園モノレール線にて運用) 車両 500形(標準Ⅰ形(試作機)) 全長 13.2m 全幅 3.05m 重量 15.3t 定員 120名 最大乗客数 140名 設計最高速度 120km/h 実験最高速度 83km/h 加速度 5.6km/h/s 減速度 8.0km/h/s 最小曲線半径 22m
3-2.ロッキード式モノレールのメリットおよびデメリット ロッキード式モノレールの比較相手は、本来鉄道およびそれら類の中量輸送機関という事になります。 しかし、現実には同種であるもののターゲットを異とするべきアルウェーグ式モノレールとなりました。 同じ跨座式モノレールといえど、両者のベクトルは正反対を向いていたと言えます。 鉄車輪と鉄軌条を採用した日本ロッキード式モノレールは、現在のモノレールの代名詞でもある急勾配登坂能力と静粛性のデメリットを構想段階で捨てています。 静寂面ではこれを補うため、弾性車輪を採用する等対策が取られました。 日本ロッキード式モノレールは本来、高速性能(設計最高速度160km/h、営業車両想定90~120km/h)と、モノレールならではの高架化の容易さのメリットを最大限に活かし、中距離都市型の二条鉄道と性能を比較されるべきでした。 事実上そのポジションを争うことになったアルウェーグ式モノレールは、その後車両の大型化(巡航速度を捨て、収容力を拡大)を選択し日本跨座式へと変化を遂げています。 ロッキード式モノレールのメリットデメリット メリット: ・設計最高速度160 km/hの高速性能 (営業車両想定90~120km/h) -岐阜試験線での実験最高速度:83km/h ・車輪径610mmによる低車高(車内床面をフラットにできる(対アルウェーグ式)) ・低車高による高い高速安定性 デメリット:(いずれもアルウェーグ式と比較した場合) ・急勾配登坂能力に乏しい ・静粛性に乏しい -弾性車輪の採用によって、これを最大限克服
3-3.日本ロッキード・モノレール三柿野試験所(岐阜試験線) California Division of Lockheed Monorail Co.(現ロッキード・マーティン)によって発案されたロッキード式モノレールの試験及び研究を行うため岐阜県三柿野に設置された試験線。 一般的に川崎、岐阜試験線等の名称で広く知られています。 運営は1962年12月に発足した、日本ロッキード・モノレール社(Niho Lockheed Monorail Co.)が担いました。 実験線の概要は以下の通り。 試験線形式:試験線全単線(本線および検修線によって構成) 軌道延長:本線 791.189m、検修線62.306m(検修車部含む) 最急勾配:60‰(本線) 最小曲線半径:34m 支柱:鉄筋コンクリート 支柱間隔:20m 電圧、給電線数:D.C.600V、30kgレール1本 保安方式:赤緑地上信号 軌道桁:鉄筋コンクリートおよび鋼弦コンクリート 後に小田急電鉄へ払い下げられる事となった500形(501、502):試験車両(標準Ⅰ形)は、この試験線において実験最高速度83km/hをマークしました。 3-4.小田急電鉄向ヶ丘遊園線(小田急モノレール) 1966年4月23日、後述する姫路市営モノレール開業のおよそ1か月前、国内初のロッキード式モノレール路線が小田急電鉄の手によって開業しました。 小田急向ヶ丘遊園線、通称小田急モノレールは向ヶ丘遊園正門と小田急向ヶ丘遊園駅を結ぶ全長1.1kmのモノレール路線。 それまで該当区画を走っていた豆汽車の置き換えとして採用されました。 2000年まで営業運転を続けていたものの、同年に台車の亀裂が確認された事で運休となり、翌2001年2月1日を持って廃止となりました。 2001年の小田急モノレールの廃止を持って、国内のロッキード式モノレールはその歴史に幕を閉じる事となりました。 3-5.姫路市営モノレール 姫路駅と手柄山中央公園を結ぶモノレール路線として1966年5月17日に開業を果たした国内2番目のロッキード式モノレール路線。 第一期工事として姫路駅から手柄山までが着手、建設されました。 将来計画として姫路駅、北部文教地を介し、南部に広がる工業地域を繋ぐモノレール路線として計画されました。 第一期区間のターゲットとして位置づけられた姫路大博覧会が閉幕、想定に反して経営不振に陥った同路線のその後の延伸計画は消滅しました。 1970年には日本ロッキードモノレール社が解散、後ろ盾を失った事で既営業路線の維持すら困難を極めると市は判断します。 その後も状況の悪化を辿った同路線は、生みの親である姫路市の手によって廃止の判断を下される事となりました。 開業8年後の1974年4月11日、姫路市営モノレール廃止。 そして、姫路市営モノレール開業50年となる2016年、姫路市は姫路モノレール開業50周年シンポジウムを開催。 プレイベントとして、廃止以来未公開となっていた旧大将軍駅の公開を決定しました。 大将軍駅見学会には定員に対して10倍となる参加希望者が殺到、開業50年後にして姫路市営モノレールは再び脚光を浴びる事となりました。 3-6.日本ロッキード・モノレール社の撤退(1970年) 今日ではモノレールの代名詞となったアルウェーグ式とは対照的に、当方式は1970年の日本ロッキード・モノレール社の撤退を機に衰退を余儀なくされます。 元々ロッキード式モノレールの開発に携わったロッキード社(アメリカ、現ロッキード・マーティン)の撤退と、日立アルウェーグ式の国内統一規格とされた日本跨座式の登場によるものが決定打となりました。 取り残された国内2路線のうち、小田急は自社メンテナンスにより運行をつづけていましたが、最終的に台車の亀裂が発見され2001年に廃止、姫路市営モノレールは保守メンテおよび予備車からの部品取り等によって延命を続けましたが、現在は廃線となってしまいます。
〔開業-休止〕()内は廃線年 1966年-1974年(1979年) 姫路市営モノレール(公式な路線名無し) 1966年-2000年(2001年) 小田急向ヶ丘遊園モノレール線 1.1km |
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〔サイト内関連リンク〕 ・モノレール 国内編 ・姫路市営モノレール廃線跡探訪 ・大将軍駅見学会(2016.08.13) |
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[参考資料] 広報ひめじ 昭和38年1月 No.322号 広報ひめじ 昭和38年2月 No.323号 広報ひめじ 昭和38年9月 No.333号 広報ひめじ 昭和39年2月 No.339号 広報ひめじ 昭和39年11月 No.348号 北九州モノレール50年のあゆみ展 /北九州市立交通化学館(2004.3閉館) 手柄山交流ステーション /手柄山交流ステーション(2015) |
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